<1000kisses>



聡いナミさんの眼は、時にロビンちゃんより勘がいい。
ぎりぎりまで隠し遂せた小さな包みを食器棚の奥の奥から引っ張り出し、上品な緑色のリボンをそっと撫でた時、背中に悪寒を感じて振り向くと、明るい世界からの光を全身で遮ったシルエットが、扉の枠に身を預けて「プレゼント〜ぉ?」と聞いた。計算され尽くした明度、小粋に腕を組んだポーズ、声のトーン。とても一般海賊とは思えない。引退後はスタアを目指しているのかも知れない。

取り敢えず一年に一度しかないこの日にリボン付きの箱を両手に掲げて、ほかにどう言い訳のしようがあるだろう。曖昧に笑うと、畳み掛けるように「ケーキはアタシの好みを言ってもいい?」とスタアは宣い、勿論だよ〜☆、あんにゃろうに味なんかわかるわけないんだから、と応えつつ取り繕ったが、そもそも作るつもりはなかった。

場違いな小箱は、已む無くテーブルの真ん中に晒された。勢揃いした野郎共がここぞとばかり囃し立て、中身は何だと煩く聞いた。言えるか。自分でもどういうつもりだったのか、全然わからないのだ。

と、不意にナミが近付き、耳元で「アタシ、知ってると思う……」と囁いた。

「えっ!」
「この間のお店でずーっと眺めてた、あれじゃない?」

見られていた。
あそこでも。

「私達も見てたの。サンジ君の前に」

ナミが壁際のロビンにウィンクを飛ばした。

「へ、へえ、そうだったんだ……」
「あれは上等よ。サンジ君、流石に目が高いわ」
「そ、そんな」
「例えこの海では無用の長物でも、グランドラインから出ればちゃんと使えるもの」
「うん」
「つまりあの方向音痴の、ラフテルの後を考えたんでしょ?」
「……」
「そういえばサンジ君、その後、すごくいいシャンパンも買ってたような……」

そこまで!?

「開けるのよね?」
「…………仰せの通りに」

それでもレディたちは気を使い、宴席を早めに切り上げることに協力してくれた。
そのせいだろう。一日中付き纏った尻のむずむずするような感覚は、格納庫に二人で収まった時には粗方消えていた。

衆目に晒され、一回り縮んだような気がする小箱を改めて取り出し、本人に渡す。
ゾロは、丁寧な手付きで包みを解いた。

「へえ」

ローズウッドの台座に埋め込まれた方位磁石。だいぶ古いものらしく、控えめな色で刻まれているのは、“常に恐れず”という意味のどこかの文字だと聞いた。

「お前が、この先迷わねえように」

そうだ。
ナミさんの言う通りだ。

俺はこいつの、ずっと未来を考えた。


指針は手の中で、回転したり、ふいに止まったりを繰り返した。
そんなものが面白いのか、ゾロはずっと見ていた。
そして最後にきちんと「有難う」と言って開けた蓋を元に戻し、磁石を箱に仕舞った。
包装紙は綺麗に畳み、リボンは形よく結んで、サンジの頭に乗せた。

「似合う」
「?」
「緑と黄色はよく似合う」

顔が近付き、光を湛えた眼がゆっくり閉じていく。

「ちょ……っと待て!」
「?」
「今日は俺がする」
「えっ!」
「勘違いすんな、キスをだよ」

ゾロはほんの少し目を見開き、それから身体を引いた。

「お前に与える、千のキスを。それから百」
「?」
「カトゥルス」
「??」
「お返しバージョン。それから千、また次の百」

唄いながら、持ち込み枕を背当てにして大きな身体をきちんと座らせ、そこに跨った。


さあ、始めよう。
じっと目を見てひとつめを与える。

「これはお前を生んでくれたお前のママに捧げる」

剣士が目を閉じた。

「ふたつ。お前の“元”になったお前の親父さんに」
「元……」

二人のお陰でこいつがいる。この柔らかい―――肉厚の、下の方を軽く噛んだ―――唇がある。

「みっつ。……お前の初恋の人に」

競り合う気持ちが歯をこじ開けさせた。でもご免ね。こいつはもう、返せないや。
舌が触れ合い、反応した手が伸びてきて、髪を分けた。
暗い瞳と見つめ合う。近付こうとする口を、指を上げて制した。まだだ。

「よっつ」

初めて立ったお前に。初めて喋ったお前に。

鼻の頭に。瞼に。頬骨の上に。耳の前に。耳朶の下に。
ゆっくりと。心をこめて。

剣士が脚を動かした。

首筋に。鎖骨に。


詩人にそんな別心はなかっただろう。だがこれは賭けだ。
1000回は難しくてもせめて100回。
続けてキス出来たら願いが叶う。

初めて、刀を手にしたお前に。
初めて……人を斬って怖ろしさに震えたお前に。


俺は。
俺の願いは――――――。




全部忘れますように。




鷹の目も。
約束も。


だが、20を超えた所でゾロが早々と根を上げた。頭の後ろを掴んだ手が、顔を引き寄せキスを奪い返す。

ああ。
駄目だった。


よかった。

「へへ」
「何だよ」
「何でもねえ」

薄暗闇の中、光る目を見つめる。
丁寧なキスが降りてきた。
ゾロは、美味い酒を飲む時でもこんな唇の使い方はしない。

「25から一万」
「?」

低い声が耳元に落ちた。

「お前に会えた俺に」

さーっと音がする程の勢いで、一気に赤面した。
赤くなったのは顔だけではないかもしれない。

「お前……恥ずかしくねえの?そういう事言って。自分で」

おまけにあっさり1000超えてるし。

「ふ、ふははは」
「何だよ!」
「あー。もう」
「だから何だ」
「てめーにゃ勝てねえ」
「当り前だ」

頭を抱え返して見つめて聞いた。

「なあお前。俺がお前の邪魔したらどうする?」
「邪魔?」
「お前の行こうとしてる道に立ち塞がったら」
「どかす」
「それでも立ち塞がったら?」
「……お前はそんなことする奴じゃねえ」
「そうか?」
「そうだ」
「よくわかるな。俺のことなのに」
「当り前だ」

岩でもねえ、まして獣でもねえ。まるで地中に深く根を下ろした古木みたいな。
なんなんだ、その揺るぎなさは。

「あーあ」
「色気のねえ声出すんじゃねえよ」
「……一生健康、とかにしとこうかな〜」
「?」
「ま、もういいや。ほら、早く」

10001回目……

「そこじゃねえとこに……」
「―――っ」
「好きだぜ? ゾロ」

早くこれを俺の中に下ろして深く張れ。
サンジは手を伸ばしながら、柔らかく身体を開いた。










ということで(伊達参照)、ようやくアップ。使ったのはたった3行、なのに支配は強い。
皆様も「過去の自分」にはお気を付けて。





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