<chosen>



手のひらを真一文字に横切った傷は、幸いそれほど深くはなかった。

だが、ガラスの破片を握り締めたのだ。ハンカチ一枚当てただけで澄ました顔をしていたが、それなりの痛みはあったはずだった。

ひょっとすると、あれを割ったのはこいつの手ではなく、エージェントとサンジの殺気がぶつかり合った余波かもしれない。
そんなことを思った。

丁寧に消毒してから指4本をゆっくり甲側に押し、皮がどうにかくっついているのを確かめる。

「痛くねえか」
「痛くねえ」
「ったく。馬鹿なことを」
「……」
「大事な、手なんだろうが」

大人しくされるがままになっていた身体が、びくっと震えた。

「破片が残ってると厄介だ。明日ちゃんと病院行けよ」
「行かねえ」

「……」

溜め息を吐きながらゲンタシンを塗ってガーゼを当て、その上から慎重に、ちょっと余計に包帯を巻く。
道具をしまっていると、真っ白なギブスみたいになった手を見ながらサンジがぼそりと呟いた。

「怒ったよな、……彼女」

忙しい奴だ。
今度は女の心配か。

「ばぁか。世界中の元首を何人も落としてきた奴だぞ? あれくらい屁でもねえよ」
「お前を好きなんだよ」
「……関係ねえ」
「一生諦めねえ気だぜ?」
「何でわかる」
「わかるんだよ」

思い詰めた様子でサンジは続けた。

「いつでもお前の隙を窺ってる」
「は?」
「少しでもぐらついたら、一気に自分の方に引き寄せる気だ」
「……」
「俺にはこう言った。貴方とわたしは互角ではないのよ? 間違えないで」
「いつ」
「ずっと。目で」
「……何でわかる」
「わかるんだよ!」

赤くした眦の直ぐ脇にまで、花が浮かび上がった。
顔を寄せ、そこに唇を落とし、宥めるように髪を撫でる。

「サンジ」

視線を合わさぬまま、後ろで手だけがそろそろと持ち上がった。
身体を包もうと力が入る。その途端、「痛てっ……」と声が出た。

「ほら見ろ。やっぱ痛ぇんじゃねえか」

もう一度救急箱まで歩いて行って、ボルタレンを取り出す。

「大人しく病院に行くんだな」
「行かねえ。女に会いたくねえ」
「俺の行き付けは男だぞ。少々乱暴だが腕は確…」
「途中にいんだろ」
「え?」
「会いたくねえ。男にも……誰にも会いたくねえよ」

痛み止めは、普段、直ぐに飲めるよう二錠ずつ小分けしてある。
その小さな銀の包みとコップを持ったまま足が止まった。

「……お前だけでいい」



溜め息って、鼻からも出んのか。

一気に寄りながら、口を軽く開けお前もこうしろと顎を上げて伝える。
喘ぐように開いたところに薬を放り込み、水を含んでキスをした。
呑み切って、サンジが更に言った。

「お前がいい。……ゾロ」


わかってるよ。

大袈裟なギブスがシャツの袖口でちょっと抵抗を見せたがそれで気が萎えることもなかった。
何度も音を立てて口付けを交わし、そっと身体を開く。

一度目の徴は真新しいガラスの管に保管した。
二度目はもう、気にしないことにした。

目の前で軽く跳ねる身体の背中がふいに折れ、顔が回り込む。

「俺にして……よかった……か?」

瞳の中に、初めて見る不安の色があった。
自分を選んで後悔していないかと、聞いているのだ。

お前を選んだのは星だ。
俺じゃねえ。

「お前だけだ」
「……んっ」
「サンジ」





花を濡らしてサンジが果てた。

徴が収まると、サンジが「誠意を見せろ」と、どこかの組の遣いっぱしりのようなことを口走った。

「えっ、けど、俺は別に何も……」
「俺の心を傷つけた」

出た。またあの面だ。組じゃなくサタンの遣いだった。


夜も明けきらないうちからツキジに急ぐ破目になったのはそういうわけだ。
腹いせに、ブラディメリーを電話口に呼び出してやる。

「俺だ」
「あら珍しい。なあに?あの子が出て行きでもした?」
「るせえ。言っとくが、アイツには構うなよ」
「熱いわね。妬けるわ」
「本気で言ってんだ。じゃねえと自分で自分を殺りかねねえ」
「まあ。随分ご執心なのね。戦場の悪鬼も形無し」
「前から思ってたが、そのキャッチフレーズ。ちょっとダサくねえか?誰が言い出したんだ。お前か」
「ふふ。機嫌がいいのね」

確かに。
真っ暗な朝の空気は気持ちよかった。
このまま市場に突っ込んで行って、勢いで、今日たまたま入った極上のマグロかなんかが手に入りそうな予感がする。

それを振舞ったら、ちょっとは笑ってみせたりするんだろうか。

想像したら楽しくなって、ゾロは走り出した。

























『cold fire』 スピンオフ。







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