<switch>





朝。目が覚めたらコックになっていた。

血が冷えて、身体中しんとして、まるで古漬けのナスみてえな気分だ。
何か変なモンでも食ったっけ、けどそういう事言うとまたあの野郎が血相変えて
怒りやがんだろうな……思いながら持ち上げた左手までのリーチが心なしか長い。



そして白い。

頭上に高く翳してしげしげと眺めた。似ている。右も上げる。親指の付け根に火傷の痕。
『ナミさん危ないよ!』そう言って奴を庇って鍋から吹き上げる蒸気をもろに受けた、
これは……コックの手?

腕を引き寄せ匂いを嗅いで確信した。間違いない。

身体を起こすと毛布がずり落ち、胸のあちこちに紅や蒼の徴が転々と散っているのが見えて、
その途端
、ふわりと膨らみかかっていた中心が一気に臨戦態勢にまで育ち上がった。
そのスピード。まるでそこに高性能の機械でも抱えているようだ。
冷え切っていた血が、あっという間に燃え盛って駆け廻る。

はぁ。思わず漏らした溜め息に、付いた声音はコックのものだ。
堪らず手を伸ばし、強く握って、一気に頂点まで駆け上がった。

いつも……こんなになってやがんのか……あの野郎は……

頭がクラクラするような新世界だった。


さっぱりして、畳んであったコックの服を身に付ける。
何か肝心なことを考え忘れている様な気もしたが、まあいいかと扉を開けて外に出た。
日差しを、いつもより強く感じて思わず目を細めた時、マストを挟んだ反対側のキッチンに
ナミが滑りこんでいくのが見えた。

「ゾロ!? 何やってんの?」

開け放たれた扉の奥で大声が轟く。
あ?何言ってんだ、俺はここにいんだろうが。


そこで漸く気が付いた。
俺がコックに。ということは?


答えは聞こえない。ちょっと気が急いて蹴った甲板の上で、脚が軽やかに動いた。
腿が張り、脛の方から強い力が伝わってくる。何だか飛べそうな勢いだ。
感動モンだな……嬉しくなって、ステップを駆け上がる。

「え?どういうこと?何言ってんの?」

自分に突っかかって行くナミの剣幕が物凄い。薄い殺気を纏った身体で、サンジを
ぐいぐいコーナーに追い詰めている。クソ……

「あ、サンジ君。ちょっと聞いてよゾロが変なのよ」

俺が俺を見た。可哀そうに、泣かんばかりだ。

「変じゃねえ。そいつはコックなんだろ。俺がゾロだ」




ナミが息を呑んだ。
それから大急ぎで荒れた気を仕舞い込み、自分の左右を交互に見た。

「二人して……アタシをからかってる?……」

わけじゃなさそうね。
直ぐに納得した勘の鋭さと抑制力は、見事だと思った。
そのまま無言で非常招集を掛けに飛び出していった背中を見送って、

ゆっくりと“自分”に向き合う。

怯えた猫のような眼がこっちを睨んでいる。その顔は、自分には似つかわしくないと思ったが、
よく考えたら、今まで自分で自分の顔を見たことはないのだ、はっきりとは言い切れなかった。
ただ、中に“サンジ”がいるのは直感でわかる。

「コック」
「ぎゃー!」

聞いたことのない声で自分が叫んだ。その勢いで後ろに背負った壁に更に背中を打ち付け、
そのままずるずると滑り落ちる。口が、言葉の出てくるのを待って開かれたが上手くいかず、
代わりにそこから小さな息が忙しなく漏れた。言葉の出ないまま息はやがて落ち付いて、
視線が落ちた。その先で両手がそろそろと上がり、漸く出てきた声は蚊の鳴くようだった。

「スープに……1時間だ……」
「え?」


「スープに……1時間だ!!」


もう二度と、負けねえから!
以来だな、その絶叫は。


「手が動かねえ。頭も働かねえ。どうしよう。これじゃあナミさんやロビンちゃんに、デザートはおろか
まともな飯すら出せねえよ……っ」

そう言ってサンジは、出来の悪い手の中に顔を埋めた。
目が覚めて、動揺して、だがまず職務を、と真っ青な顔でロープを急ぎ伝い降りて来たか。
不憫さに、思わず手が伸びる。
と、不意にサンジが立ち上がった。
指の先を掠め、歯を食い縛った顔で、熱の塊が通り過ぎた。




後甲板のいつもの自分の定位置に、コックは小さく丸まっていた。

「存在価値ゼロだ……もう生きててもしょうがねえ」

腹巻に突っ込んだ頭の奥から、小さな声が漏れる。
まだそこか。俺の身体に入ってることについちゃあ文句はねえのか?

「どこもかしこも重いし」
「あ?」
「おめえ、よくこんなモンぶら下げて歩けんな!」
「……そりゃどうも」
「褒めてねえよ!」

シャツの胸元で手が虚しく空を切り舌を打ったのを見て、スーツから煙草のパッケージを取り出し
火を点け差し出してやるが、二口吸ったところで「美味くねえ」と返してきたから、
代わりに清々と味わった。

「身体は固てえし暑っ苦しいし」
「……」
「これで刀振ってんのか。ほんと凄ぇ重さだよ。マジ力技だな……あ」

サンジがはっとしてこちらを見た。

「見張り台だろ」
「悪りぃ、後で取ってくる……」

言ってまた腹巻きの中に顔を突っ込んだ。

「なんでこんなことになったんだろう」
「さあなあ」
「これからどうなるんだ……」
「さあなあ」
「! なんでそんなに落ち着いてられんだよ、ちっとは心配しねえか!」
「そうだなあ」

押し付けられた煙草が案外美味い。




「俺たち……狂うのか?」
「さあなあ」



綺麗な青い空が、新しい朝の始まりを祝福している。
煙でそこに最後のベールを作って、足元で消した。

「取り敢えずお前の身体は、凄くいい」
「!?  ……なんかした?」
「はは」
「したんだな」
「俺のはどうだ」
「知るか。よく見てねえよ、ンなもん」
「これからはお前のになるかもしれねえのに?」
「えっ!やだよ」
「やだっつったって」
「ぜってーやだ! やだやだやだ!」
「駄々っ子か」
「大体野望はどうすんだよ。俺がお前の代わりになれんのか」
「……」
「刀なんか、振れねえからな!俺は」

野望。そうだな。このままお前が俺になっちまったら。
追うのはやめるか、それとも俺が、この姿のまま一から剣をやり直すか。
焦る気持ちが少しも芽生えないのは自分でも不思議だった。それより、この脚で
剣も使えたらと思うと、なんだかわくわくしてくる。

黙り込んだ自分に目を向ける。
と、急に茶を出してやりたい思いに駆られて、足を再びキッチンへ向けた。

丸窓の付いた扉を開ける。
今までとは違う、空気の感じ。親しげな、とは言えない、どちらかと言えば緊張を強いられる
ような……ああこれは、目の前に他の剣士が立ってる時と同じだ。
サンジの目で見ているからだろうか。


『俺たち、狂うのかな。』

完全に自我を失い相手の人格に乗っ取られることをそう言うなら。
サンジ相手ならそれも悪くないと口の端を上げる。

と、ナミに叩き起こされた面子が集合して来るのがわかって、尻を叩かれるようにして
急いだ。

「サンジじゃねえか!」
「だよなー。どこが違う」

黙って茶を淹れていればそう見えるらしい。だがナミは、湯呑の脇に零した分を
すぐに拭かない杜撰さを見逃さなかった。


「ハッハッハッ。んじゃあおめえ、ゾロなんだな?」

漸く理解した船長が愉快そうだ。

「ああ」
「じゃあ脚は使えねえのか?」
「……さあ」
「そっかー。脚が使えねえか〜」

背中越しに冷蔵庫が見えた。

「狙うなよ?」
「はっはっはっ」
「後でコックに殺されんぞ?」
「いや〜」
「俺が」


湯呑を差し出すと、サンジは素直に受け取りその後でちょっと怪訝な顔を見せた。
そのまま一緒に海を見ていたいのにどうにも尻が落ち着かず、
再びキッチンに戻るとちょうど船長が冷蔵庫に首を突っ込んだところで、
手が、無意識に何もない腰の辺りを彷徨った。

「だって〜。腹が減ったんだよー」

精一杯、殺意を宥めて、サンジが朝ありったけの根性を見せて作り上げたスープの鍋に近寄った。

慎重に味を見る。
美味い……。
これは何と何で出来てるんだ……。


知りたいと思った。



丁寧にひとりひとりに出してやり、ついでにざっと卵を炒め、パンをスライスして付けてやる。

「ほんとにゾロかよ〜」

船長が全部一緒に口に入れながら、面白そうに言った。


ひとり、静かになった場所で食材の点検をした。
野菜、冷凍肉、燻製、漬物、乾物……どれを見ても、切り方や、それを使った料理がぼんやりと
頭の中に浮かんでくる。よく考えないうちに手が動き、昼にはチャーハンを作り上げていた。

一旦解散した仲間が再び集まって来て、出来を褒めた。嬉しかった。
少し遅れて、不思議そうな顔をしたサンジが入ってきた時―――

心の内に、勢いよく思いが浸み出した。


ああ。そうか。
これか。



食事が出来て、クルーが揃って、あったかいうちに喰わせてやりたいと思うが案の定ひとり足りない。
しょうがねえ、あとであっため直して持ってってやるかと思っているところに当の本人が現れた時の、
―――嬉しさ。自分の作った食事を心待ちにしている顔を見るときの、胸の高鳴り。

サンジの目で自分の姿を見て、その気持ちの温かさがよくわかった。
有難ぇ……ゾロは僅かに顔を伏せ、顔を柔らかく綻ばせた。


「あ、ゾロ。じゃなかったサンジ君、大丈夫?」

ナミがぎこちなく、新剣士を気遣う。新コックの方はどうでもいいのか助けの手は出て来なかったが、
チャーハンの横に新しくタマネギで作ったスープも足して、あ、それから上になんか緑の粉みたいの
掛けるといいんだろ、これは。飲み物は……男共には冷茶、女たちにはジャスミンティ、とひとりで
色々気遣うのは案外楽しい。
いつも自分が座る席に腰を下ろしたサンジが、動き回る自分をじっと見ているのを感じる。
作業の合間に見返すと、突然、何だか苦しそうな顔になった。視線は直ぐに逸らされ、
サンジはそのまま下を向いて固まった。

「? どうかした?ゾロ、じゃなかったサンジ君!ああもう紛らわしい!」

ガタッ。

椅子が鳴った。ナミに僅かの気遣いも見せず、サンジは出て行った。













「ほら。冷めちまうぞ」
「……」
「悪かったな、縄張り荒らすつもりはなかった。何か自然に身体が動いて……」

腰に戻って来ていた三本が、今はいつも自分がやるやり方で、身体の右側にきちんと
立て掛けられている。ゾロは自分の入って行く場所を決めあぐねて、皿を持ったまま
立ち尽くした。


「そんなことは、もうどうでもいいんだ」
「サンジ?」
「……戻りてえよ」
「?」


「お前の気持ちを受け取る、俺でいたい」


赤く腫らした目から、はらはらと涙がこぼれる。
嗚咽は止まらず、皿を置いて脚を跨いで、腕を伸ばすと、身体は素直に収まった。

「目ぇ潰れ」
「?」
「くっつきゃわかんねえだろ、どっちがどっちだか」

そっとキスをする。
唇が離れ、サンジが薄く眼を開け、それからまた閉じて、
腕の中で頭を垂れた。







夜は綺麗にステーキを焼き上げ皆の腹を膨らませてやって、
あれからずっと戻ってこないサンジを見に行った。

サンジは甲板で抜刀し、その先の月を見ていた。
重心が取れた、綺麗な姿勢だ。刀を納める姿も堂に入っていた。

即席の夜食を食べさせ、またふたり、海を見た。

風が起こり、月が雲に隠された。
闇を味方にキスしようと横を向いたら、先回りされて唇が重なった。
顔が見えなければいいと思ったが、このまま完全に入れ替われば問題はないのだ。
サンジの目に暗い光が走り、身体が圧し掛かってくる。

「我慢できねえ」

乱暴に剥かれて準備もそこそこに繋がる。

「ああ、やわらけえ」

僅かな光の中、顔を見合ってまたキスをする。
目を瞑り、一度突き上げられた所でふと意識が遠のき、


もう一度目を開けたとき、
元に戻っているのがわかった。

「!」

目の前に、何を犠牲にしても守りたい相手がいた。
繋がりをそのままに、もう一度固く抱き合い、激しいキスを交わし、荒い息を吐きながら、
そのまま力強く、思いの丈を刻み込んだ。











* * * * * * *



「ねえロビン」
「なあに?」
「あの二人、ほんとに入れ替わってると思う?」
「え?」
「気のせいなんじゃないの?」
「……同時ヒステリーだと?」
「よくわかんないけど」
「まあ、考えられないこともないかしらね。あれだけ気が合ってれば」
「あいつら……」
「本当に、愛し合ってるのね」
「ちっ」
「フフフ、ちっ……てナミ」
「まったく」
「取り敢えず、もう一杯いかが?」
「ありがと。よーし。こうなったら今日はとことん呑んでやるわ」
「これ、高そうなお酒だけど、よかったのかしら」
「いーに決まってるわよ。なんならキッチンのお酒、全部飲み尽くしてやろうかしら」
「フフフフ」
「場所替えましょう! 冷蔵庫泥棒にはアタシがなってやるってのよ」
「あははははは」


チョッパーは、部屋の片隅で真面目に医学書をめくり続けていた。
ルフィがすやすや寝ている横で、ウソップは心配しながら工具の整備中だ。


二人の振る舞いは、グランドラインの奇怪な空気に中てられたのか、
グランドラインの空気を変えたのか。

全てを知っているような顔で、船は進み続けた。



























長!大分削りましたが「掌編」には程遠い……orz。
やり直したいけど……あとにしよう。

“入れ替わり”は、ロー形式ではなくボンちゃん形式(声は身体の持ち主のまま)が個人的には好みです。
頭にあんな丸貼り付けた所を見ると御大もそのつもりだったんじゃないかなと思いますが、いろんな意味で
ハードルが高すぎたんでしょうか。ナミさん声のサンちゃん、見たかったなあ(笑)







inserted by FC2 system