<計画変更>



悪魔が見ていた。


ターゲットは既に決まっている。取り立ててこれといった理由があるわけではなかった。
いつもと同じでただ何となく目に付いた、それだけのことだ。あの金の髪のせいかもしれない。
暫く見ていて、やはりこれで行こうと決めたのだ。

時間だ。左腕に埋められた時計にちらと目をやる。
後ろから近付き、右手の中指と薬指で、そっと頸動脈に触れる。それでいい。
そうやって悪魔に魅入られた人間は、ひと月以内に『死因』が決まる。不慮の事故なのか、長患いの病気なのか。そっちを決めるのは死神の仕事であって、悪魔には関係がなかった。

地上1メートルの高さをすいと進む。と、その時。ターゲットが突然凍り付き、不意を衝かれた悪魔は、右手を長く伸ばした格好のまま、思わずつんのめった。
男の呼吸は止まっている様に見えた。
何故だ、俺はまだ何もしていない。まさか死神との連絡に何か不備が?
男が凝視している先に、つられて目を向ける。
もうひとり、別の人間が歩いている。
大きな荷物を肩に担いで、どうやらその先の船に向かっているようだ。
足がタラップを登り始めた所で、ターゲットが初めて、大きく息を呑んだ。

なんだ。やっぱり生きてるじゃないか。


そう思った途端、嫌な予感が走った。
これはまずい。
僅かに遅れて、光の矢のような衝撃が身体を貫いた。
続けて鉛の塊がやってきて、胸を塞ぐ。

右手が指の先まで痺れて、上げていられない。だらりと落とし、鉛の重みに耐えかねた身体が地上に降りた。

ターゲットであったはずの男の膝が崩れ、それに気付いた船の男から声が掛かる。
答えは届かず、再び、離れた所から相手がまた呼んだ。


応じた声は、

―――幸せに打ち震えていた。




間違いない。
悪魔は唸り、尖った犬歯を剥いた。

なんてことだ。
今、か。このタイミングでか。

ターゲットが確かに《階段》を上がったのだ。


人間は、はたから見ると大して違いがないようだが、実際はそうでもない。
容姿とか性格とか環境とか、そんな瑣末なものではなく、実はそれぞれの属する“魂のステータス”によって、いろいろの《種類》に分かれている。
ほとんどの人間は、多くの時間を同じ場所で過ごし、あまり変わり映えのしないまま死ぬ。
上にあがることのできる《階段》は、実は誰の耳の横辺りにも等しく存在するのだが、それに気付く者は少ないからだ。《修業》や《鍛錬》を積めば高みに登れる、というようなことを口にする人間には特に見えにくい。
稀に、何かのきっかけで《階段》の存在に気が付いて登る者がいる。自分の考え方を大きく変えるような出来事に遭ったとき、それを否定したり無視したりせず、怖がらず、素直に従う気持ちになれれば文字通り魂が揺さぶられ、一歩が踏み出せる。
そのようにして《階段》を登った人間には最低42年は手出しが出来ない、とこれは天界のルールでそう決まっている。

きんいろめ……(悪魔は男の名を仮にそう決めていた)
何だってこんなときに。誰の差し金だ。何か邪悪で強力な陰謀を感じるぞ……
自らの立場をすっかり忘れて、悪魔はそう毒づいた。

計画は失敗だ。
このミッションは、特に熱心な準備は必要とされないが、失敗した時のダメージは大きいのだということが、今初めてわかった。一瞬で、心身共に、大いに疲弊していた。
もう一度、上に帰って出直さなければならない。




身体を癒している最中、仲間内で集まる機会があり、つい愚痴を零した。

「そりゃあ大変な目に遭ったなあ」
「だろう? まったくわけがわからない。登るにしたって何も俺が触る直前に、ってことはないだろう。話が出来過ぎてるじゃないか。ひょっとして……“あっちの方”が何かしたんじゃないのか?」
「え? たかだか人間一人に力を?」
「そんなことあるかよ」
「どうかな。“あっちの方“の考えは、俺たちの想像を超えてる」
「……それはそうだが」

お互いに長い尻尾を振り振り、角を突き合わせて考えたが、結局答えは出なかった。
話が殆ど終わろうという時、遅れてひとり、中堅どころの悪魔がやってきた。ぜひ意見を聞こうと話の触りを繰り返すと、ベテラン悪魔は口にしていたパイプを手に持ち替えて言った。

「海?若い?」
「ああ」
「奇遇だな」
「え?」
「少し前、俺も同じようなことがあった」
「ほう」
「争い好きな、無鉄砲な男で、自らを大切にしない。これでいいかとほぼ決めていた。
そいつも目立つなりをしてたからな。目を付けたんだ」
「へえ。どんな?」
「あれは確か奇天烈な―――」

悪魔が、すっかり冷えていたパイプの中身をすこん、と足元に落とした。





「緑の髪の、男だったよ」









『青天』悪魔視点w

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