<キルサムへ>



意識のないコックを背負って、歩いている。
他に何も見えない白い大地を、もう、2時間だ。

背に触れる身体は、十分な重みを伝えてきていた。
何度もこの腕に抱いたのに、自分は、サンジにこれだけの重さがあるということを、きちんとわかっていなかった。
温かいのはいつもと同じだ。肩の上では、時折、小さく息も揺れる。


―――――――まだ、生きている。



途中、ルフィが「ゾロ、代わるよ」と言った。
断った。

この、命は、
自分が預かりたかった。
そうしたかった。
たとえ船の頭に逆らっても、「仲間」の下へ戻すのは嫌だった。

今まで俺が、我侭を言ったことがあったか?
コックのことで、駄々をこねたりしたか。

掠め取るように、その身体を奪い取った。



キルサムへ

キルサムへ



黙って足を、出し続ける。





その、少し前。
戦いを終え、疲れて船に戻る途中の一味に、突然、眩い光が襲い掛かった。
微かな音に、反射的に頭を庇うのが精一杯だった。世界が、燃え広がるようなスピードで白く崩壊していくのが見え、恐ろしさに声も出せぬまま、全員その場に頽れた。

気が付くと、幸い身体のどこにも痛みはなく、仲間もそれぞれの場所で意識を取り戻してぽかんとしていた。

「みんな無事か!」

船長が鋭く叫ぶ。ああ、ええ、と応える中に、コックの声音の張りだけがなかった。

「なんだったんだ、今の……」

ウソップが落ち着いた声を出したのを耳の端に引っ掛けて、さっきまで、黒スーツが背を丸めて歩いていた場所に顔を向ける。

「!」

息を呑み、腰を上げるより早く、ルフィが駆け寄っていた。

「サンジ!おい、どうした!」

不意に、体の真ん中を、冷たい風が通り抜けた。
口の中には苦い味が広がる。

「なあ、サンジが起きねえ。ゾロ!」

呼ばれても、押さえつけられたように身体が動かない。斃れるばかりのサンジの目を醒まさせようと、ルフィが怒鳴ったり、乱暴に揺さぶったりした。が、駄目だった。
もし、もし。
悪い方へと、考えが流れていく。
自分以外の人間がサンジを撫で回していることを、焼け付くように悔しく思うのに、怖くて動けない。

チョッパーにまで、追い越された。

「サンジ!」

平気で名を呼ぶ。

――――――てめえもか。何故触る。何をそんなに、きちんと、計ったりする必要があるんだ。勝手なことを言うな。そいつの、様子は、そいつの、命の、在り処は、俺が…………

「脈は正常だ」

もぞもぞと中途半端に蠢いていた体が、怒鳴りつけられでもしたようにびくっと止まった。ほっ……とあちこちから安堵の息が漏れ、その場に温かい淀みを作る。

「ほかのみんなは?どこか異常はないか」

医者が医者らしくきびきびと問い、あからさまに安心した顔の船長が、「サンジぃ、どうしたんだよぉ」と、甘えた声を出した。

「今、空で何か、光ったわよね?」
「ええ……確かにそう見えた。爆発?」
「よほど高いところかしら。残骸が落ちてきたような形跡がないけれど……」

その辺りでようやく辿り着いた。
ああ。
なるほど息はある。
ほうっ、と、まとまった空気が、痛いくらいの勢いで身体から出て行った。

それでも、横たわる身体は、やはり眠っているときとは違うと思った。
いつもなら、こんな無防備な四肢の投げ出し方を、こいつはしない。
固く閉じられた目も、容易に開きそうになかった。
船医が聴診器を耳に、端から順番に人体の情報を細かく確認している横で、跪き、上体を傾け、指の先で頬を撫でた。少し、冷たすぎると思った。
抱き起こしたいのに医者が邪魔だ。
姿勢を変え、顔を見ながら座り込んだ。


そのとき、地平線の手前で砂煙が上がり、遠くから奇妙な乗り物が近付いてくるのがわかった。
ウソップがスコープで探ったが正体が分からない。ロビンが両腕を交差させ交戦体勢に入る―――――
と、ウェイバーに板が付いたような小さな船がすぐ近くまで来て停まり、重装備の男が、分厚いゴーグルを額に押し上げながら降りてきた。

「光が見えた。全員無事か」

《エリア監視員》だとか言う胡乱な男から、閃光は、このあたりで不定期に目撃されるものの、出所も意味も不明であること、偶にそれに“当たる”人間がいることを聞かされた。
男が、サンジをちら、と見て言った。

「角度なのか、そいつの質なのか。偶然条件が揃うと、もろに喰らう奴がいる。ショックを受け、言ってみれば、頭の中身がバラバラになってる状態だ。誰かが援けて組み立て直してやらないと、元に戻らない」
「記憶に障害が?」
「少し、違う。どちらかといえば感情、か」
「?」
「このまま放っておいても直に目は覚ますだろうが、ばらばらになった情動はコントロールが難しい」
「サンジは……おかしくなっちまうのか!?」
「場合によっては」

なんだって、冗談じゃねえ、そんな、ひどい……悲鳴と怒号が渦を巻いたが、ゾロは黙っていた。


「どうすりゃいいんだよ!」
「感情のデフラグが必要だ」
「デフラグ?」
「ひとつひとつ、きちんと仕舞い直すということ?」
「そうだ」
「だからどうしろってんだ!」
「キルサムへ行け。心の中身を映す、鏡がある」
「やり方は?」
「石が教えてくれる。とにかく、少しでも早い方がいい」
「どこなの!?それ!」

男が腕をすい、と上げ指を差した。目指していた港からは90度ずれている。

「まっすぐだ」
「西ね。わかったわ!」

目を醒ます。但し元には戻らない。……サンジが。
もし本当に、そんなことになったら。
覚悟など、できるわけがなかった。
だが、自分にとっては、どんなコックも、最後までコックであることに変わりはない。
たとえ口がきけなくなろうが、これまでのことをすっかり忘れようが。

ただしそうなったらコイツは――――――俺が貰う。




誰も、ひとことも、喋らなくなった。
戦いの後だ。
酷く疲れていたのだ。
それを思い出した。
ふと、少し強い風が、泣きながら通り抜けた。
ウソップがはっとして、もう一度砂煙の向こうにスコープの照準を合わせた。

「見えた!」

ルフィがきっ、と血走った目を向け、距離を尋ねた。

「ざっと……300メートル」
「よし!ゾロ、サンジを寄越せ!」

聞こえない振りをした。と、船長は、それも予想通りだとばかりに大して気にも留めず、サンジを背負ったゾロごと、腕に抱えた。そのまま、反対の腕を少し引き、唸りを上げて遠くに伸ばす。

「!おい!」

酷い風に翻弄され、再び気が遠くなった。
タン、と草履が鳴り、体がふわりと着地する。間違ってもサンジを落としたりしないように、気を入れて力を加減し、それからそっと膝を付いた。

ルフィが掴んだのは、砂と苔に覆われた、古びた石だった。ポーネグリフよりは小さく、道標にしては大きい。不思議なことに、砂の上にはそれだけが、ひとつぽつんと置かれているのみだ。
行けと言われて想像していた場所とはだいぶ違う。
キルサム。
本当にここか。

「ねえじゃねえか!鏡なんか!!」

ルフィが冷たく吐き捨てた。本物の怒りの芯を、肚の奥に宿らせたことが分かった。仲間の、命のことで、嘘なんかつきやがったら――――
とばっちりでたった一つのヒントまで壊されては堪らない。急いでサンジを抱き直し、石の方へ足を向けた。

最上部に、墓碑銘のような刻印がある。

――― KILSOM ―――

見ながらゆっくり、サンジをその場に下ろした。
さっきと少しも変わらない。静かで美しいその様子に、胃の辺りをもぎ取られるような想いだ。


砂避けになってサンジを護る位置に座って待つうち、残りのクルーが到着した。
途端に、考古学者が目を輝かせたのがわかった。
さっと石に取り付くと、細い指で石の表面を撫で始める。すると、砂に覆われていた場所に何かを見つけた様子で、動きが忙しくなった。

「これは……イリュア語?」
「?」
「古代文字とは違うけれど、今ではもう使われていない言語のひとつよ。“彼の者を……ここへ……”」
「サンジ君のことじゃない?ゾロ!早く!」
「なんだよ」
「もっと近付けるのよ!サンジ君を!」

航海士の目も据わっている。船で一番の気を持つ女だ。尻を蹴り飛ばされた思いで、コックの身体をぎりぎりまで近付けた。

「頭の上を、ごめんなさい」言いながらロビンが、今度は石の表面を大きく手で払った。

「!何か書いてあるわ。憧憬、感謝……後悔……これは、感情の種類……ところどころ飛んでいるけれど、もしかしたらこれが、コックさんの心なのかしら」
「どういうこと!?」

自分の身体に直接手を突っ込まれたような嫌悪感を覚えた。吐き気がこみ上げる。決して睨み付けたつもりはなかったが、ロビンがはっとして、石から手を離した。

「ごめんなさい。つい」
「いやロビン。お前が正解なんじゃねえのか?」

まただ。ウソップのこの落ち着きは、一体どこから来てる……

「さっきの奴が言ってた“鏡”も、“石”も、――キルサムも。全部こいつで間違いねえよ、多分」
「でも……どうすれば……」
「サンジぃいいいい!」
「ロビン、他には?なんて書いてある?」

考古学者がいくぶん蒼褪めた顔をこちらに向けてきたが、張り巡らせた結界に跳ね返され、そのまままた、石に向き直った。

「驚愕、興奮……」

戸惑いがちに、静かな声を出している本人は“不安”で一杯だろう。百戦錬磨の暗殺者だと思ったが、意外に、面の皮はそこまで厚くないらしい。

「すげえな……もしかして、それ、全部かよ……」

漸く他のクルー達にも見えてきた文字群の量に、ウソップが初めて弱々しい声を出した。
そのときだ。突然、ナミが叫んだ。

「サンジ君!聞こえる?アタシ、ナミっ!いつも美味しい料理、有難う!」

なにを……女の突拍子もない行動に驚かされるのは決まってこういうときだ。だが。

「あ……!」

続いて考古学者がはっきりと息を呑んだ。

「どうしたの!?ロビン」
「消えたわ……」
「消えた?」
「ええ、文字の一部が!今のは確か……“慈愛”……」
「どういうこと?」
「ナミの声が、聞こえたのか?ナミのことがわかったのか!」
「それって……サンジの……“ナミに対する感情”じゃねえのかよ!」
「サンジ君!アーロンパークで助けてくれて、有難う!あの時……ほんとに、嬉しかった!」
「! また!順番に消えていくわ!“嫌悪”、“軽蔑”、“勝利の快感”……“殺意”」
「まちがいねえ!聞こえてるよ!」

やめろ……

「話しかけたら思い出す……それで整理が付くってことか!?」

そうか!よし!
などと盛り上がる連中の回りで空気の温度が俄かに上がった。

「サンジ、聞こえるか?おれだぞ。おれもドラムで有難う。でも、お前、俺を非常食にしようとしたよな!」
「……“好奇心”」

やめろ……止めてくれ。サンジはモノじゃねえんだぞ。
鯉口まで持ち上がった指が震えているのが分かった。

「ロビン。もういいよ」

突然、ルフィが醒めた声で言って、みんな一斉に振り返った。
麦わらに手を掛けた船長が顔を上げる。と、鋭い気が迸った。

「有難う、でももう読まねえでいい」

一瞬眉根に皺を寄せたナミと、怪訝な顔を見せた鹿とウソップは、それでも黙った。

「そう……そうだわね。ごめんなさい」
「うん。なあ。俺たち、今まで散々サンジに世話になったろ。ちゃんとやろう」

石の表面で、また何かが動く気配があったが、今度は誰も注意を払わなかった。

「とにかく座ろう。ゾロ、サンジを抱えてやってくれ。それじゃ背中が痛えよ。サンちゃん、古傷があんのに」

震える息を吐く。
ああ。助かった。不甲斐ない自分を心底呪いたい気分だ。同時に、やはりこの船長には頭が上がらないと思った。


石板を背に、サンジを抱えて座るゾロを、他のクルーが囲む形になった。

「サンジ。あの時一緒に来てくれて、有難う。コックのおっさんおっかなかったけど、最後はお前を出してくれて、俺は嬉しかった!」

船長の言葉に、鼻が大きく頷く。

「稀代の大海賊だぜ、赫足のゼフ」

背中で、風が動く気配があった。

「これからも、まだまだいろんな冒険するんだ。だから早く目ぇ醒ましてくれ!俺、ハラ減ったよ」
「おれ、聞いたよ。サンジ、嵐が怖いんだって?今度、どうしても駄目なときに飲めるような薬、作ってみるから。今ある薬草で、できると思うんだ」
「そういや虫も怖ぇって言ってなかったか?今度一緒にカブト獲りに行こう!そうすりゃ治るよ」
「サンジ君……サンジ君がいないとつまらない。生きる楽しみが減っちゃう!」
「そうね。わたしも、コックさんに、今まで知らなかった人生の扉を開けてもらったわ」
「おめえが生還したら、そうだな、俺は……キノコに挑戦することを誓う」

みんな自分とサンジの物語を一から思い出すつもりが結局支離滅裂になって、それでも必死に言葉にした。
石の上で、大きな波が立つのがわかる。

ナミがロビンの手を取った。反対側で、ルフィのを握る。ほら!と促された船長が慌ててウソップの手を掴み、最後にチョッパーの硬い蹄がゾロの膝に乗って、全員が繋がった。

「みんな……一緒よ」
「ああ。これからもみんなで行こう!」

自然に頭が下がり、それぞれに目を閉じた。

「どうだ?」

船長の命を受けたロビンが改めて確認した。

「ええ。大分少なくなったわ。うまく行ってるといいんだけれど」
「あと、残ってるのは?」

いいの?つやつやした黒い瞳が船長の表情を窺う。
ルフィが大きく頷くと、応えた。

「そうね。……愛情に関係したいくつか、それに……」
「おい、サンジ!」

ウソップが叫んだ。

「ゾロならそこにいるぞ!おめえのすぐ傍だ!」
「……!」
「そうよ!わかる?ほらゾロ!黙ってないで、何とか言って!」

鉛弾をぶち込まれたような衝撃に、本当に胃の辺りが凹んだ。
何か言う?俺が?コックに?……お前らの前でか。
大した試練だと思った。
そうでなくても、サンジと過ごしたこれまでを、アルバムにみたいに整理することなど自分には到底無理だ。

「サンジ……」

後が続かない。ようやく、振り絞るように言った。

「早く、戻って来い」

腕の力を強め、言葉が確実にそこに落ちるようにする。
ふと、サンジの表情が柔らかくなり、歓声が起こった。
ルフィが目を輝かせてロビンを振り返る、石板を確かめたロビンがにっこり笑った。

その後も、みんなぎりぎりまで記憶を呼び起こし、疲労困憊しながらひとつずつ潰していったが、最後に残ったひとつがいつまでも消えなかった。

「“失望”ね」
「失望。なんだろ、サンジ君、何に失望してた?」
「あんまりこいつには似合わねえなあ」
「これは、あれか?過去の記憶じゃねえと駄目なのか?」
「どういうこと?チョッパー」
「感情を経験すれば片付くんだとしたら、なにか、サンジががっかりするようなこと、言えば……」
「おう!よく聞けサンジ!いいか、オールブルーなんか、ほんとはねえんだぞ!」
「ウソップじゃ駄目よ」
「そういう問題かよ!」
「このままでも目は醒ますっていうんだから……一つくらい残してもいいんじゃないの?駄目?」
「でも、途中で止めることになるぞ?いいのか」
「それは……」

熱心な討議の声がBGMになった。改めて石板を振り返ると、これだけは変わらない、一番上の刻印が目に付いた。



キルサム      


キル、サム。



kill ……some.



「犠牲を払え」
「え?」
「そういうことじゃねえのか?」
「なに、きゃー!」

全ての迷いを吹っ切って、一気に立ち上がる。
何を斬る。手は最後まで残してえ。足か。だが船まではまだ遠い。耳か、鼻か。――目か。

「ゾロ」

低い声に震撼した。
さっきと同じだ。船長が、怒っている。


「駄目だ」
「……」
「それは俺が許さねえ」
「……」
「刀を仕舞え」


「ああ、どうしたらいいの」

突破口を開いた航海士もお手上げのようだ。
絶望が一味を覆う中、突然、閃いた。

そうか。殺すものが見つかった。

「サンジ。聞こえるか」

全員がはっとして、ゾロを見た。

「今まで……お前に言ったことは、全部嘘だ」


俺は自分の心を殺す。



改めて、その身体と対峙する。
自分と殆ど大きさの変わらない、頭の天辺から爪先までをほぼ知り尽くしたつもりでいるが、それでもまだまだ奥の深い、愛しい身体だ。

意外に硬さのある髪も、肌の温度も、ひとつひとつの爪の形も。
こうなってから初めて知った。
あの見事なキックがこんな脚から放たれるのかと、見惚れすぎて呆れられたこともあった。

だが、これまでだ。
もう、触ることは許されない。
与えられた僥倖に感謝して、全部自分の胸に仕舞い込む。
そして、俺とこいつは完全にフラットな状態に戻る。――それだけだ。
大きく息を吸った。

「もともと俺は、慰めてくれるなら誰でもよかった。そこに、偶々お前がいただけの話だ」
「ちょっと、ゾロ!何言ってんの!」
「うるせえ、黙ってろ!」

邪気のない笑顔。海を映す、キラキラした瞳。
優しい気遣い。まっすぐな心。

「お前が……さも特別であるかのように匂わせてたのは、……嫌われたら困るからだ」

何でも知ってるかと思えば、時々、真面目な顔で思いも寄らない可笑しなことを言ったりして、それがまたどうしようもなく可愛かった。研究熱心で、でもいつも他人第一で。

「ひょっとして……勘違いさせてたか?だとしたら悪かった」

誰にも渡したくねえと思った。
ずっとずっと、抱き締めていたかった。
その腕の中に、何度でも包まれたかった。

「もともと、船を下りりゃあ消えてなくなる関係だ。こういうのは、割り切るのが筋ってもんだろう」

はあっ。
大きく息を継ぐ。

「だが、……これ以上、……お前を騙すのも気が引けてきた……だから……」

空を仰いだ。

「もう、やめにしよう」

俺は酷い男だ。

「なんなら、全部、なかったことにしてもいい」

どうだ、幻滅しただろうが。
頼む……頼む!これでコックを……返してくれ!






「ウソが下手だなあ。ヘタレ剣士」
「!!」

驚いて、閉じていた目を開く。
今のは確かにコックの声だ。だが、横たわる身体に変化は見えない。

「サンジ?」

医者も気付いて駆け寄ろうとしたが、船長が腕を伸ばして留まらせた。

「まだだ」


薄い瞼がゆっくりと開いた。
受け取った光の加減で竜胆色に染まった瞳が、確かにゾロを見つめた。
そろそろと、細い指が伸びてきて、そのまま目の端の雫を拭う。

「そんな顔して……バレバレだってぇの」

慌てて手首を引き、乱暴に上半身を掻き抱く。

「ゾロ……」
「ああ!」
「ごめんな」
「えっ?」
「そんなこと言わせて」
「……」
「俺、お前のここに」

とん、と小さく拳がゾロの胸を叩いた。

「また別の傷、作っちまった」

何言ってんだ。それより儀式はちゃんと終わったのか。俺にがっかりして、それで呪いが解けたんじゃ、ねえのか……
混乱してよくわからなかった。

「お前、今の……」
「ああ聞こえた。てか、ずーっと聞こえてたよ」
「……」
「でも、どうしても目が醒めなかった」
「そうか」
「あのな。俺が失望してたのは、自分に、だ」
「えっ」
「いつまでたっても、どうしても、お前に、最後の最後で遠ざけられてる気がして」
「?」
「完全に受け入れられんのは無理なんだと思ってた。なんだかわかんねえけど境界線引かれてるみてえな」
「そんなことは……」
「俺が、そんな気ぃしてた、ってだけだ。俺はお前にとって、結局それだけの存在なんだなって思ってた。そんなこと残念に思う自分にも、嫌気が差してたしよ」
「サンジ……」
「でも、よくわかったよ……お陰で決心付いた」
「?」
「このままてめえに付いて行かせろ」

ほうっと、今度は酷く暖かい息が、サンジの背中を滑り降りていった。


「うわ〜〜〜〜ん」
「!」
「ナミさん?いたんだ……って、みんなも?」
「今かよ!遅ぇーよ!つーかナミ、お前はなに貰い泣きしてんだよ!!」
「だあってえええええええ」
「ははははははは、治ったな」
「サンジ、一応ちょっと診せてくれ」
「! あ……!」

ロビンが石板に目を向けた。
石の表面は、拭い去られたように綺麗になっていた。




「よし、じゃあこの方向に、ひたすら真っ直ぐ。来たときよりちょっと時間掛かるわよ」
「なんでだ?」
「簡単な三平方の定理じゃないの」
「きゃー、なみさんすてきー」
「やだ、ウソップじゃ調子出ない」
「しょーがねーだろー今はよおおおおおおおお」

賑やかに笑い合って、もう一度船を目指す。
なんだか力の入らないサンジを、結局またゾロが背負った。

途中、ルフィが「ゾロ、代わるよ」と言った。
今度はサンジがそれを断り、「後は自分で歩く」と言って、


剣士と並んで進み始めた。




おしまい



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