<ヴィクトリアの話> え?サンちゃんに恋人が? でも今海の上じゃ……え?仲間? 船の? え? ――― 男 !? あーっはっはっはっはっは、ちょっと、サル!聞いてよ!いないの?エミリー?誰か! やだもう、うそ、ホント?へーっ。 男。 あーっはっはっはっは。駄目だわ。ちょっと、早く誰かに教えたい、ねえ、サル!? はー。 ごめんなさいね。 でもそう。 サンちゃんに。 そう。 よかったじゃない。 はっ!この話バラティエには?言ってない。ああよかった。 駄目よ、この先も言っちゃ。何が何でもぎりぎりまで漏れないようにしてよ? え?パティとカルネにだけならいいか? 最も駄目よ。あそこは砦の最弱拠点じゃないの。 絶対に駄目。この話があの人に伝わったら、大袈裟じゃなく、今度こそほんとうに、勢い余って走り出すかもしれない。七武海が五武海になろうが四皇がどうだろうが、海の情勢には全然興味がなくて、周りで皆が大騒ぎしてたって聞こえない振りする人なのに、ことサンちゃんとなると……自分でもわからないうちに、見えないスイッチが入っちゃうみたいだから。 あの人は、白ヒゲじゃないけど赫脚だからね。急に髑髏の旗を掲げて錨を上げようとするかもしれない。でもコックさんたちはともかく、あの船はこの間ようやく改装したばかりなのよ?勿論、レストランとしてね。勿体無いじゃないの。 あの人が、サンちゃんがまだ小さな頃から面倒を見て来て、その前にも色々経緯があったんだってことは聞いてた。お互いに、相手がいなきゃ今ここでこうして生きていられたかどうかわからない間柄だってことも知ってる。あの人がサンちゃんに、コックさんとしてだけじゃない、男がひとり生きてく上で必要なことを、ほとんど一から教えたんだってこともね。 でもサンちゃんだってもう立派な大人よ? 多少は心配でも、自分だって行ったことのある海に行くんだし、乗り込んだ先は自分が見込んだ船長のいる船。あの人だって割り切って、例え強がりでもでんと構えて、帰って来た時のお土産話を楽しみにしてるもんだとばかり思ってた。 ちょっと違ってたわ。 わたしたちも知らなかったの。 この間の手配書。あれの出た時のことよ。 あの人がこっそりうちに持ってきて、みんなで眺めて笑ってるうちはよかったのよ。わたしたちは、ほんとはそうじゃないのにそれを初めて見るようなふりをして、あの人も、まんざらでもなさそうな顔してたはずなのに、突然立ち上がって、手配書を摘み上げてね。空中に放り出して、浮いた所を木の脚の方で思いっ切り蹴ったの。大きな口開けて、涙まで浮かべてまだ笑ってたわたしたちの目の前で、薄い紙が、濡れ雑巾みたいな勢いで壁に向かって飛んでったわ。それから、叩き付けられた似顔絵の、ぎりぎり顔に掛からない場所に駄目押しでナイフが刺さってね。 その音でようやくわたしたちは異変に気が付いたの。 天気のいい日の午後で入口の扉は開けてあったから、店には風が通っててね。ナイフの下で、あの顔がゆらゆら揺れてたわ。驚いたわたしたちは声も出せなかったけれど、懸命にあの人の様子を伺おうとしたの。 なにもなかった。 特別な表情は何も。でも、いつもとは全然違う。 目には静かな狂気が宿ってた。 あの人は酷くゆっくり歩き出した。壁際まで行って手配書をじっと睨んでね。 なにかひとこと呟いたの。 わたしたちには聞こえなかった。 それからナイフを抜いて、穴の開いた手配書を、大事そうに丸めて仕舞ったわ。 ひとことも説明はなかったけど、何かに腹を立ててるんだってことはわかったのよ。 何に?あれを描いた人間にでしょうね。きっと悔しかったのね。うちのサンジはこんなんじゃねえ、もっと可愛いんだよ。何でよりにもよってこんな……もしかしたら賞金の額も、気に入らなかったのかも知れないわ。 その夜あの人はいつもの二倍のお酒を呑んで、そのまま泊って、翌日から店中の人間にサンちゃんの写真を集めさせたらしいの。海軍に送りつけてやろうと思ったんでしょうね。 みんな苦労して、あちこちからそれほど多くない枚数を持ち寄ったけど、結局これというのがなくてね。そのうちに諦めたみたい。手配書は最終的に、あの人が自分で部屋に貼ったらしいわ。 それでね。横にもう一枚、別の似顔絵を自分で描いたらしいの。そっちは顔の真ん中にナイフの跡があるんだって。 センゴク……って殴り書きしてあるらしいんだけど、誰なのかしら。 でも、そう。 サンちゃんに恋人が。 へえ。 好かれていることには間違いないと思うけど、サンちゃんの方もちゃんと好きなのかしら。 え?どうもそうらしい? 好きに……なれた? ほんとに? ああ。 だったらよかった。 あの子、誰にでも優しいのに、自分はいつも淋しそうだったのよ。 みんなそれを何とかしてあげたくて、でも何故だろう。その気持ちをまた悟られて、逆に気を使わせちゃうの。 誰の前でも決して本当の心は見せなかった。 そう。 そんなサンちゃんが本気で好きになったなんて。 よかった! よっぽど素敵な人なんでしょうね。 え? 無愛想で、向こう見ずで、野望馬鹿?ガラが悪くて自信過剰?態度も大きい。 腹巻き?緑の?おまけに寝てばかり? …… ますます言っちゃ駄目よ、あの人には。 ほんとうに、顔にナイフの刺さった手配書が並ぶだけじゃ済まなくなるわよ。 はー。なんでまたそんな男のことを。 でもまあ、サンちゃんが選んだ人だもの。間違いないんでしょう。 会いたいわね。 二人揃って帰ってくるかしら。 その人、ゼフの蹴りに耐えられるかしら。 ここで匿うのはいいけど決闘場所にされるのはご免だわ。 サンちゃん、間に入って苦労しないかしら。 ……ふふ。 わたしったら先のことまで心配し過ぎね。 まるで母親みたい。 わたしたちにできることは、サンちゃんがあの海から帰って来た時に、いつでもまた立ち寄れるように、この店を続けて行くこと。 サンちゃんのことは、お茶でも飲みながら、一日に一度無事を祈ることにするわ。 あ、サル? ずっと仕舞いっぱなしだったあれ、やっぱり貼りましょうよ。 カウンターの奥?いいえ、もっと目立つところがいいわ。 【お尋ね者 生死を問わず。 黒足のサンジ 懸賞金7700万ベリー】 傷の付いていない、 サンちゃんの手配書。 ヴィクトリア>『サンジとヴィクトリア』に登場。 |