<星の丘> 「もう……来ねえか?」 「ああ」 しつこい追手から逃れて街を外れ、森へ駆け込み、渓流を抜け、丘の上まで走った。どこまで後ろに敵がいたのか、どこで振り切ったのか、わからなかった。 はじめの50人ほどを片付けている最中、後発隊としてざっとその2倍の人数が駆け付けようとしているのを見て、「おい、逃げるぞ」と言ったのはサンジだった。 瞬時に状況を見定め、滅びとは正反対の方向へ最適の判断を下す。 サンジの最も優れた資質の一つだった。 「ああ〜〜〜〜、疲れた」 言ってサンジは地面に膝を付き、尚も呻きながら前に突っ伏して、それからごろりとひっくり返り、天を仰いだ。 目を閉じ、荒い息を吐き続ける顔と、無防備に投げ出された四肢から、ゾロは目を背けた。 喉が渇いていたが水がなかった。自分も大きく肩を上下させなが刀を引き抜き、少し離れた場所に腰を下ろす。 「えっ……」 突然サンジが声を上げ、息を詰めた。 「!?」 急いで様子を窺うと、口を僅かに開き、開かれた目は瞬きを忘れている。 まさか……!? 毒でも仕込まれたかと、全身の血が落ちるのを感じながら慌てて身を起こした。 「なんだよ……これ!」 絞り出すような調子の声が、口から迸り出て最後に弾けた。 視線はずっと、上に向けられたままだ。 「おい、どうした!」 覆い被さるように覗き込む。と、顔が不愉快そうに歪んだ。 「どけ、見えねえ!」 「……あ?」 サンジの手が乱暴にゾロを避け、それでもゾロはほっと息を吐きながら身を引いた。 「……異常事態か?」 空を睨み付けたまま、今度は小さな呟きが零れ出る。 ゾロも急いで見上げるが、そこにはただ、冬の星空が広がっているだけだ。 「?」 「グランドラインだからなのか?地上に何か、空の光を反射する植物とか石とか……藻?かなんかがあって、そのせいで光が2倍に……それとも、空そのものになにか異変が……珍しい自然現象とか……ああナミさんがいりゃあなあ、瞬時にわかんのに。おい、どうなんだよ!」 さっきは邪険にした人間に、必死に答えを求めようとする。 「な、なにが……」 「何って!良く見ろよ!星が!多過ぎんだろうが!空いっぱいじゃねえか!」 そこでサンジはもう一度、ほうーっと長い息を吐いた。 「凄ぇ……」 確かに。村にいた頃、冬は毎晩ほぼこんな様子だったが、ゾロも見るのは久し振りだ。 海の上の湿った空気は、今までこの男にこんなパノラマを見せたことがなかったのだろうか。 どっちにしろ心配するには及ばないはずだ。そう告げるとサンジは漸く安心し、それでもまだ信じられない様子で空を眺め続けた。 「ったく……流れ星の流れるとこがねえよ……え?まさかこっちに向かって突っ込んでくるんじゃねえだろうな!どうなんだよ、おい!ゾロ!」 視線を空に貼り付けたまま、叫び続ける。 「ヤバいだろ。なんだよこれ……端から」 顔が思い切り右に振れた。 「端まで」 今度は左、ゾロのいる側だ。 「ぜーんぶ星だぞ!なあ!」 やがて降参したように、サンジは体中の気を柔らかく抜いた。 「いっぱいあるなあ」 「いろんな色が、あんだなあ」 「なんか音してねえ?しゃららららら……宇宙行ったら聞こえんのかな」 時折思い出したように感じたことを口に出す。 「明るさもいろいろだ。あれ、明るいのは近ぇのか?」 「……さあ」 「んだよ、知っとけよそんくらい……」 「俺たち、小せえなあ……」 サンジが胸を探り、煙草を取り出した。 そのまま長い時間が経った。火の点けられない煙草がいつまでも口元に留まり続け、やがて手からライターが零れ落ちた。 「?」 寝息が聞こえてきた。 慎重に、いつでも誤魔化せる速さで首を回して横を見る。 サンジは目を覚まさなかった。 数が多いだけで、それほど手強い相手ではなかったはずだが、それでもどこかで転びでもしたのだろうか。 顔のところどころが泥で汚れていて、乱れた髪にも土が付いている。 大したことはなかったはずの誰かに何かされたのか、頬に血も付けている。 だが圧倒的に美しかった。 犇めき合う星の下、清涼な夜気が肌を刺す冷気に変わっていた。 星が照らすのか、星の中に隠された月が照らすのか、その髪は光を弾き、冷たそうな皮膚と一緒に、静かに輝いている。 全ての気を内に潜めた今、サンジは、近寄り難い高貴な力に包まれ、守られていた。 これがこの男のほんとうの姿なのだ。 ゾロは体の向きを変え、泣きたいような気持になって眺め続けた。 出来ることなら、 このまま、こいつを連れてどこかに逃げたい。 シャツの袖口から覗く、白い手を見つめた。 自分がそれを取るところを想ったが、実際は、ただ指が、手元の草を意味なく撫でただけだった。 降りた露の冷たさが、ゾロに正気を取り戻させた。 「おい、コック、起きろ。こんなとこで一晩中寝てたら死んじまうぞ」 聞こえたらしい。 ゆっくりと瞼が上がり、顔が僅かに角度を変え、瞳がちゃんと青い光を纏ってゾロを見た。 黙って暫く見つめた後で、サンジは低い声を響かせた。 「死ぬ?」 俺とお前、二人で? そうだ。 音にならなかった言葉を空気でくるんで、サンジは口の端を上げて薄く笑った。 そしてもう一度空を見上げて言った。 「何時までなら死なねえ」 「え?」 「一晩中は駄目だとして」 「ああ」 「何時までだったら大丈夫なんだ」 「……」 「てめえ、考えて起こせ」 「……」 「絶対だぞ」 浚う事も、死ぬことも出来ないならせめてそれくらいしてもいいか、いやするべきかとゾロは思い、もう半分瞼を閉じたサンジに向かって、「ああ」とはっきり返事をした。 再び、告白し合ってないバージョン。あー、ちょっと癖になったかも(笑) |