<ある晴れた日に>







「早くしろ、その天袋の奥だ」

何故。夜中の12時半にすき焼きなのか。
アルコールも混じり、いい気分で帰宅した父が、熟睡していた次男と、寝てはいなかったがすでに
プライベートタイムを満喫しきっていた長男を叩き起こしたのは今から10分ほど前のことだ。

「肉だ肉!最高級の!今から食うから支度しろ」

眠い目を擦り擦り起きてきた、弟の水玉パジャマが痛々しい。

「お父さん……」
「おう、待ってろよ、今、一生の思い出に残るすき焼きを食わせてやるからな!」


相変わらず、「食」と名が付けば一切の不満や矛盾を吹っ飛ばして最重要・最高級事案となる
この家だ。サンジは思いっきり悪態をつきながらも、やはり結局は折れて、父の言う場所から
すき焼き鍋を出そうとしていた。

「だいたいなっ! こんなとこにこんな重いモンしまっとくんじゃねえよ、この非常識人!
地震が来たらどーするつもりだ」
「ほんとだよねえ」

珍しく弟が参戦した。

「大丈夫だよシン、お前の頭の上には落っこって来やしねえ、落ちるとしたら兄貴の上だ」
「んだと、クソ親父」
「だーいじょうぶだ、おめえなら。俺譲りのそのマーベラスな石頭、そんなモンの一つや二つ
ぶつかったってどってことねえよ」

あ……とか、ぐ……とか、突込みも不発でうまく出てこない。
クソ。完璧夜型親父め。最高級松坂牛を手にしてエンジン全開以上、バリバリのフル稼働か。
車が空飛んでる勢いだ、とても付いてけねえ。
こう見えて結構朝方なサンジは、三段の踏み台の上でちょっとふらつきながら思った。

「あーっ、何だって普通の葱しかねェんだ、ここは下仁田だろ少なくとも」
「アホか!一般家庭に常備されてる野菜かそりゃ!今から群馬行って買って来い!」
「しょうがねえ、んじゃこれでいいや」

そう言う手元で素早くざくざくと、3本の葱が刻まれていく。
この分じゃ醤油にも!砂糖にも!味醂にすらも!文句付けやがるに違いない。
サンジはああ……、と溜息をつきながら、慎重に踏み台に足を掛けた。
本当に頭の上にこの鍋を降らせてはたまらない。





その鍋の奥に。

丸まった画用紙が眠っていることを、今ではもう、この家の誰もが忘れていた。
男所帯には激不釣合いなピンクのリボンで丁寧に縛られた、
それはサンジの絵日記だ。

ひっそりとしまわれたその中の一枚に、こうあった。





「○月×日。はれ。



きょうは、るふぃが、おとうさんに、あたらしいあみをかってもらったといって、
みせにきました。

うそっぷと3にんで、こうえんにいきました。

うそっぷとるふぃは、

「むしとりにいこうぜ」

といったけど、

ぼくは、

あんまりいきたくなかったので、「やだ」といいました。

そうしたらうそっぷが、

「なんだ、さんじ、まだむしがこわいのかよー」

といったので、ぼくは、「そんなことない!」といったけど、なきそうになりました。

「うそっぷのばか!」といったら、

「ばかっていうほうがばか!」

といって、るふぃといっしょに、こうえんのおくの、もりにいってしまいました。



ひとりで、ぶらんこをこいでいると、しらないこがきました。

こわいかおのこでした。

なにもいわないで、となりのぶらんこにのりました。

ぼくが、たかくこぐと、となりのこもたかくこぎました。
ぼくが、たちのりをすると、となりのこもたちのりをしました。
たちのりのまま、どんどんたかくしました。

すると、こうえんのいりぐちのところで、
くろいふくのおとこのひとが「ぼっちゃん!あぶないですよ!」とおおきなこえでいいました。

ぼくは、ときどきおみせのひとに、「ぼっちゃん」とよばれるから、
このこもおみせのこなのかなあとおもいました。


すべりだいをやって、すなばでやまをつくりました。



なまえはしらないけど、ぼくとそのこはともだちになりました。

たのしかったです。」





その日。その子供は、公園に来るにはどうかと思うような、
白のシャツに吊の半ズボン、革靴という格好で現れた。

短く、立った髪にはよく櫛が入れられ、その目付きとも相まって、
全体にすっきりとした、今までに見たことのない、珍しい感じの子供だった。

休みを利用して親戚の家に来ているよそ者、とは明らかに雰囲気が違う。
馴染めるかどうか、様子を窺いながら踏み込んでくる遠慮勝ちなところは見当たらない代わりに、
遊びに来ているのは確かなはずなのに、どこか切羽詰ったような、一生懸命過ぎるような
感じがあった。

名前も名乗らず、相手に聞きもせず、ただ、サンジの傍に来て同じことをする。

「変わった奴だ」。思いながらサンジは不思議と警戒心も抱かず、逆に触発されたように自分も
熱心になった。

怖そうに見えた顔は次第に解れて、そのうち、ひっそりと嬉しがっているようにも見えてきた。

二人で砂場に移って山を作る。トンネルを掘り始めると白いシャツが見る見る汚れて、
サンジの方が心配になったが本人は平気な顔をしていた。

小さなくぼみが少しずつ深くなり、手が穴の中にすんなり入っていく程になると、
向こうとこっちで競争のようになって、最後は慌ててがりがり掘った。

と、突然の開放感。

さくっと最後の砂が落ち、柔らかいものに触れる。

開通だ。


二人は手を握り合った。


サンジが穴の中を覗くと、相手も同じように向こう側からこっちを見た。

今度は紺のズボンが砂だらけになったが、
やはりその子にとってはどうでもいいようだった。

穴の向こうでその子供がにかっと笑った。
サンジもつられてくすっと笑った。

もう一度お互いに手を引っ張り合って勢い余り、たった今完成したばかりの、大事な、
特別大きく出来た山に突っ伏しそうになって慌てて離す。

まだまだ、やることがあるのだ。

次は、今のトンネルと垂直の方向に、もう一本新しいのを掘る。

同じように掘り進み、
同じように最後さくっとして、

開通。

またも手を握る。

今度は二人してゲラゲラ笑った。


空いているところに尚も新しいトンネルを作ろうとしたとき、
突然サンジが「あっ!」と言って指を引っ込めた。

砂の中に埋もれていた何かの欠片に触ったらしい。ガラスだろうか。
小さな人差し指の腹に赤い筋が出来て、すぐに血の玉が2、3粒浮かんだ。

「……」

痛みより、驚いたせいで、サンジは思わず涙ぐんだ。
異変に気付いた相手の子供が、山の向こうに立ち上がって言った。

「どうした?」

サンジは、知らない子に泣いているところを見られたくなかったので、一生懸命に我慢した。
回ってきた相手は幸いサンジをからかったりすることなく、逆にその様子を見て眼を丸くして、
それからごそごそと、半ズボンのポケットに手を入れた。

泥だらけの手が、真っ白のハンカチを取り出す。
それを器用に細く丸めると、サンジの指に縛りつけた。

「これで、ちがとまる」

何だか照れくさくて、有難う、とは言えなかった。
代わりに、

「おとなみたいなこと、しってるんだね」と感心してみせると、

相手の子はなぜかまた怒ったような顔をして、それからもじもじと下を向いてしまった。


丁度その時そこにウソップとルフィが帰ってきて、侵入者にサンジが苛められていると勘違い
したのか、凄い形相で走り寄って来た。

「サンジ、どうした!?」
「だいじょうぶか!」

そこへタイミングよくさっきの黒服が、公園の入り口に停めた車の脇からまた声を掛けた。

「坊ちゃん!そろそろお時間ですよ」


“坊ちゃん”は、どろどろのシャツとズボン姿で、サンジを見た。
暗い瞳に涙が溜まるのかな、と思ったがその子供は泣かなかった。
そして言った。

「またな」
「うん!」


ぴりぴりしているウソップとルフィにチラッと一瞬視線をやり、呼ばれているというのに走りもせず、
ゆっくりと去って行く。
大人みたいな歩き方だなあ、とサンジは思った。

「あれだれなんだよ!」
「サンジ、いじめられてたのか?」

ルフィたちが口々に聞いたがサンジには答えられなかった。

何者なのか、自分だって知らない。

でも、
悪いやつじゃないよ。
いじわるでもないし、乱暴でもない。

今度いつ来るのかわからないけど、ぼくは、あの子と、
友達になったんだ。

後姿に手を振ろうとしてやめたサンジに、
あっという間に今の話には興味を失ったウソップが、わくわくと、

「ホラ、サンジ!見てみろよ!でかいバッタ!」

と言って白い網の端っこを摘んで見せたので、
サンジは公園中を逃げ回った。


走っているうちにその子供のことは忘れてしまい、絵日記を書くまで思い出さなかった。
そして書いた後しばらくは、あの子、また来るかな? とか、どこの学校の子だろう、と
気にしていたが、

そのうち今度は本当に、すっかり忘れてしまった。






踏み段を下りようとして、
ふと、

何かが頭の片隅に引っ掛かった気がしたが、
すぐに、いざという時は武器としても使える重いすき焼き鍋に意識を集中したサンジは、
それ以上そのことを考えようとはしなかった。


ピンクのリボンが、サンジの閉めた扉の風に煽られて、
ふるりと、僅かに震えた。
























『59000』スピンオフでした!
【設定説明】サンジ:三ツ星レストランのオーナーシェフである父、優等生の弟と団地で暮らす高校生。
        ルフィ:祖父が秘宝「ワンピース」を発見した家の息子。大金持ち。(笑)
        ウソップ:公務員の両親と三つ子の弟がいるごく普通の高校生。発明好き。 
          *3人は私立海洋学園の小学部からの同級生。
        ゾロ:元々さるやんごとなき家の息子だが訳あって勘当され、緑風会の舎弟となるも破門、組長の古い友人
          である校長シャンクスの手引きでサンジ達のいる高校に編入した。生徒会長。
 


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