cold fire

(続・火焔樹、または継士シリーズその2の始まり)














「そうね! もうちょっとそう! あーそうそう! いいねえそう!」

何がいいのだか、決してカメラマンは説明しない。
ただ、ゾロともう一人のモデル、沙耶が作り出す空気を瞬間ごとに判断しているだけだ。
その声を聞き、被写体の側はいいと言われたエッセンスだけを残すよう、執拗に続く
光と音の連打を気にすることなく、精密な調整を動物的に行わなければならない。

撮影は順調に進んでいた。

今日はフリーのハンターとしての本職を離れ、頼まれ仕事をこなしている。
もっとも、振り元はいずれも同じ、未だに正体の掴めない赤髪の男だったが。

「そうね! ふたりはそう……なんていうの? 二人の間は……ジュク!」

はあ? と一瞬ゾロの顔の間が抜けた。

「だから、歴史のある二人な感じなワケ! 昨日おととい出来たばっかじゃないの」
「なんかこう……出来ればもう少し……」
言われてゾロは女の方に気持ち体を傾けた。
「そうね!」
ゾロの一部分を受け取った女が、それに応える様になめらかに、ゾロの手を取り自分の
胸に差し入れた。
軽い女の骨。
「んん〜〜ん、いいね沙耶ちゃん! そのポーズ使いたいぐらい! その感じよ。
さあすがね〜」
女がゾロを見た。
決して使い捨てタイプの、中身のない感じではない。挨拶を交わした時の声は低く、
撮影の前も最中も、カメラマンに媚びるようなマネは一切しなかった。
玄人の間で人気が高いという、その評判にも納得できる。
ゾロを見る目も、決して色艶を孕んだものではなかった。
ただじっと、なにかを注ぎ掛けるような眼差し。

面倒な予感がした。

ゾロは、熱く柔らかい皮膚の上で、指を1ミリも動かさずに女を見返して、
妖艶に笑いながら、すっと手を抜いた。
無表情なままよりは効くはずなのだ。


雑誌用の、イタリア製時計の広告スチール。


ゾロは腕に嵌めた商品を見た。

動いていなかった。








「ハイ! OK! お疲れ様でした!」
緊張が解け、世界が壊れて行く。
「次、ジーンズのオファーも来てるんだって。今度初めて日本に入るブランドなのよー。
なんかこう〜既成のイメージに捕らわれない、斬新な感じでっていうんだけど」
上機嫌なカメラマンが機材を片付けながら軽い調子で言い、ヒゲ面を撫でた。
「またお願いできないかなあ? ゾロちゃん」

ちゃん。
もう慣れたとはいえ。

「はあ。会社通してもらわないとなんとも」
「会社ねえ。だいたい、あの子はなんだってこういうとき、一度も顔出さないの」

社長は……
とんでもなく忙しいからだ。
こんなところで一契約ごとに動くスタッフの仕事をぼーっと眺めている程無能ではない。

ゾロにマネージャーを付けようともしなかった。
まあ……
だいたいバイクの後ろにマネージャーなんかくっ付けて走れっかよ、そうゾロは思ったし、社長も、
「そんなとこ想像すると物凄くなんつーかこう、胃が太りそう」とか言ったのだった。

自前のシャツを衣装にしていたゾロが上着を羽織っていると、背広の男が近付いてきた。
沙耶の方は大手の事務所に所属する期待の大型新人だから、当然のようにこういう立派な
付き人がいる。

ああ……
悪い予感は大抵当たるんだ。
イヤだぜ。

「ロロノアさん、お疲れ様でした!」
「お疲れ様」
「この後何かご予定、あります? よかったら一緒に食事でも」
「ああ、いや、申し訳ないけど」
「そうですか……残念だなあ。あの、これ、名刺です。今後ともどうぞ、宜しくお願い
致します」
如才ない笑みと共によこされた指先の小さな薄紫色の紙には、本人ではなく女の名前だけ
が見えた。恐らく裏にも、事務所の連絡先などないのだろう。
「俺は、個人的な付き合いはちょっと」
「は。あ、いや、そう言う意味ではなく……」
「生憎もう」
少し声を上げ、だが穏やかにはっきりと遮った。
「……決まったのがいるから」

背広の男はビックリしたように口をあけた。
ゾロはその時どういうわけか突然、男が凄く痩せている事に気が付いた。

黙っている男の目を真っ直ぐに、射抜くように見詰めてやる。

手っ取り早く断ったつもりだった。
マネージャーから多少歪曲しただろう返事を聞かされて、女が少し眉を上げる。
大して動じている風にも見えなかった。
自分には絶対、敗北・挫折・不可能などないという、音がするような自信。

よくない。
時を過ぎるほど本格的に面倒なことになっていきそうな気がした。

いい女なのに鈍いのか。
いい女だからこそ鈍いのか。

あくまでも表の顔としての「モデル業」だったが、今後も当分続けて行く必要があるなら、
波風は小さく抑えておく必要がある。

そう思いゾロは、女の側を通り過ぎる時、
自分と大して違わない立端のその耳に、低く吹き込んだ。

アンタの所為じゃない。

「悪ィ……俺、女ダメなんだ」

瞬間、取り澄ました女の表情が変わった。
ああ。この顔はなかなかイイじゃねえか?

ちょうどその時。
分厚いスタジオのドアの陰から、ひょいと金髪が覗いた。
っ! 
愛嬌のある片目がくるくるする。
ああだからおめえはどうしてそう間の悪い……
いや待て、却って好都合か?

「終わり?」
「ああ」

ゾロはサンジの肩を攫うように抱えると、
そのまま腕を下ろし、歩きながらサンジの尻をぎゅっと掴んだ。
「な! 何すんだてめえは」
「後ろ」
「え?」
振り返ったサンジの眼に、ドアの外まで飛び出して二人を睨みつける女の姿が映った。

それを見た瞬間に固く凍った首筋の上の頭が、
ゆっくりと戻る。

金髪が僅かに揺れ、顎が挑戦的に上がった。

ああ。
ヤバイ。
こっちをマズったか。



あの、閉ざされた村からサンジと一緒に帰国して、既に3週間が過ぎようとしていた。
元気よく「俺はオールブルーを見つけにいく!」と宣言した勢いはどこへ行ったのか、
向こうの空港に降り立った瞬間からサンジはゾロの横にぴたりと張り付き、飛行機が
本格的に陸を離れるとますます離れようとしなかった。
流石に寂しいのかと毛布をめくって身体を伸ばし、肩を抱いてやったら、ほんの少し
身を捩り、同時に「ん……」というあえかな声が出た。驚いて顔を覗き込むと、瞳が
また花の色に燃えている。

「ゾロ……」

そのまま鼻先を胸元にこすり付けてきて、その甘えたポーズにうっかり油断した隙に
片手が強く掴まれ、真っ直ぐ股間に導かれ、促される。
「我慢できねえ」
なあ、と切実な目で訴えられれば「トイレで自分でやって来い」などという人でなしな
ことも言えなかった。

幸いにも空席の目立つファーストクラスの座席で、そのままもつれこんだ。
極力他人の目には触れさせないつもりだったが、興が乗ったサンジは、人工的な夜の
空間に次第にその白い膚を晒し始めた。ゾロにも余裕がなく、それを止めることもでき
ない。一度、シートの上からサンジが誰かに笑いかけたような気がしたが、確かめること
は出来なかった。

「……っ、もう、予備のケースがねえ」
「仕方ねえ、な」
「どうする」
「どうでも……お前の好きに」

途端に解放された。
金には換算出来ないほど価値のあるサンジの大事な白濁を、無駄には出来ないと思えば
最後まで気を抜くことは出来ない。だが今はその気を、使いたくとも使いようがないのだ。

今だけ。ここでのことだけ。何も考えずにサンジを抱き、サンジが生み出すものすべてを
自分のものに出来る――。
身体の奥深くから歓びが沸きあがった。
力を得たゾロは一旦身体を引くと、改めてと深々と腰を押し進め、最大に乱れるサンジの
全てを思う存分味わい、身体と頭に刻み付けた。

その後もサンジの熱は引かなかった。家の中でもゾロを離そうとしない。
海はどうした。そう聞きたい気もしたが、どうやら花が背中に浮いているうちは、とにかく欲望が
渦巻いて仕方ないということらしい。お陰でゾロは、朝といわず夜といわずサンジを味わうことに
忙しく、しかしこれは村の長との約束でもあるので、
「これなら予定より早くノルマ達成できそうじゃねえか」
と荒い息を吐きながらふざけて言うと、サンジは顔を赤くして口をへの字に曲げて見せた。

体中に浮いた花は行為の最中がもっとも色鮮やかで、終わると少し大人しくなる。
服を着ていても全身からただならぬ迫力が滲み出ているため、暫くの間、ゾロはサンジを人前
に出すことを躊躇った。サンジの方もずっと家の中に篭りっきりでも特に不満を口にするでもなく、
主に生の魚を喜んで食べながら、機嫌よく過ごしていた。

だがいつまでも囲ったままではせっかく連れ出した意味がない。
サンジも少し飽きてきたのか、そのうちに「料理してえな」と口走るようになった。
それならば、と少しずつ世間の空気に晒し始めて気がついたことだが、不思議なことにサンジの
オーラは女の前では薄くなるようだった。これ以上女と関わることを本能的に忌避しているのか、
別に敵対視するわけではないが、ただ愛想よく笑いかけるだけで、それ以上は決して踏み込ま
せることがなかった。
ホームセンターの店員、スーパーの店員、映画館のチケット売り場の係員……
なんでもない相手は勿論、少し位ゾロのことを憎からず思っている程度の女になら、それは変わ
らなかった。


だが。

ゾロに本気を見せた女は別だ。一瞬で見抜き、一切容赦しない。


それがわかったのは、外で一度ウソップ特製の保存容器をエージェントの女性職員から
受け取ったときだった。黒髪の女は、その筋では「鋼鉄のブラディメアリー」とも噂される
凄腕のヒットマンで、本来ならこんなところに使いっ走りに出向いてくるような玉ではない。
ゾロの頼みだからこそだった。女はもう何年も、振り向きもしないゾロ相手に叶わぬ思いを
抱いているのだ。

昼下がりの街には全く似つかわしくない革のミニスーツとニーハイブーツという出で立ちで
何の変哲もない喫茶店に現れた女が目の前に腰を下ろした瞬間、サンジの眼付きが変った。

「お久しぶり」

艶めいた声で女が言い、長い脚を強調するように組んだ。

「暑いわね」
「ああ」

ぱりん、
と小さな音がした。

サンジが握っていたグラスが割れ、中のオレンジジュースが静かに流れ落ちている。

驚いたのは、ゾロ一人だった。
慌てて覗き込んだサンジの目の色を見て、更に息を呑んだ。今度は花ではない。
美しい湖のような深い蒼が、心なしか白く光りだしたように見える。

「あら」

涼しい顔の女を、サンジが一層鋭く睨み付けた。

「貴方、手が」

割れたガラスを更に握ったせいで、サンジの手元から細い血の筋が滴っていた。
サンジは言われて初めて気がついたのか、ゆっくりと手を緩め、ぱらぱらとテーブルに
落ちた欠片の一つを改めて拾い上げた。
それを女の顔の真正面に翳してみせる……

「おい!」

我に返ったゾロが、ポケットから出したハンカチで簡単に払い、縛ってやった。
その手が、ぞっとするほど冷たい。

「じゃあ、私はこれで」
「ああ。有難う」

途端にサンジが、今度はゾロを睨み付けた。

「お前のために使うんだろう?」

そういうと漸く、サンジは逆立てた毛を収めた。
興奮したサンジに結局その夜は一睡もさせてもらえず、ゾロはこの教訓を、
深く胸に刻んだ……

はずだったのだが。




「あれ、何て名前?」
「……」
ゾロは頭を抱えたくなった。

真っ直ぐ前を睨む蒼い目がゴウゴウ燃える。
が突然何を思ったかつと立ち止まり、上半身を捻って、口を開け、
思い直したように女を一度振り返ってから、
「ま。どーでもいーか、名前なんて」
と大声で言ったかと思うと、
舌を出し、
さも美味しい物を食べるような顔で、

ゾロの頬を舐め上げ、
そして耳を噛んだ。

左腕をゾロの腰に回し、反対の手で股間を思い切り掴む。

「てめ……そりゃ、見えねえだろ」
「いんだよ」

カツカツっとヒールの音がして消えた。
しかし実際何でずっと見てんだ……
「んとにお前は」
「へっ」

顔は僅かに紅潮していたが、目は一層冷たく燃えている。
宥めるように口付けても、その目は固まってしまったように閉じることがなかった。
更に深いキスをすると、うっかり止まらなくなりそうになる。
こんな場所で立ち止まったまま……

はぁ〜……

深い溜め息が漏れて、ほんの少し熱が兆したように見えた。
そうだ。それでいいんだぜサンジ。
「ああもう! ちょっと立ち寄りだ」
「ああ? けど次シャチョーだろ? 待たせちゃマジィんじゃねえの」

そうだった。

『聞いたよ。凄い美人連れて歩いてるんだって? 俺にも見せなさい』

社長は美しいものが好きだ。
口を開けて待つ悪魔に生贄を捧げるような真似で何となく気は進まないが、これ以上
隠しておくことも難しい。
だが今ならまだ……
花が落ち着けばどうなるかわからないが、サンジが、ゾロを固くターゲットと決めている
今なら、例え社長の毒牙といえど難なくかわせるかもしれない。そう思った。どっちにしても、
ここまで来たら、もう少し先に伸ばしてもらったところで大して変わりはしない。

「いいから黙ってついて来い、ヘブンリーパラダイス経由!」
街のその筋の店が集まる地名を告げる。
「ワーナニコノヒト、ゼツリーン」
腹の底に力をこめた大声でサンジが怒鳴った。
「聞こえねえって」
「いんだよ」

コイツのコレを宥めるにはこうするしかない。

というのがもしかしたら口実かもしれないと、
ゾロは頭の隅で思った。







end










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