久しぶりに、街らしい街のある島らしい! 

というわけで、上陸を前に全員が浮かれていた。
陽の高いうちから始まった宴で弾け過ぎた船長、狙撃手、
そして女どもは、早々と撃沈→退場済みだ。

最後に船医が、半分閉じた瞼を洗濯バサミで無理やり引っ張り上げ
(こういうとき、分厚い毛皮は便利なんだか不便なんだか)、
見張り台での自らの勤めを果たさんと雄々しく短い脚を運んで行ったが、

その影も、残り香も、今ではもうない。

頃合の酔いを得た剣士はゆったりと腰を下ろし、目の前の愛しい男の所作を
一々眺めながら、取って置きの酒を味わっていた。
宴会の後に、コックがわざわざ自分の為に作った摘みは三品。
肉の燻製っぽいスライス、小魚といろんな色の野菜の酢漬け、
そしてゾロの好物、五色豆のサラダ。
これはちゃんと前の晩、豆を水で戻して用意したことがわかっている。

実に満足だった。後で焼きおにぎりも頼もうと、ゾロは心に決めていた。

だが。

さっきから、肝心のコックの気が今ひとつ漫ろだった。

初っ端こそ、甲斐甲斐しくゾロに酒を注いだり自分もお相伴をしていたものの、
だんだんと動きが緩慢になり、ついには椅子の上でただ丸い頭を少し傾げたまま、
ぼーっとしているようにしか見えなくなった。
何でも昼間、船長が口にしたちょっとした一言がきっかけで、俄かに「美味くて、
持ち運びに便利で、腹にも溜まり、それでいて当然のように栄養ばっちり☆」な
おやつの研究を始めたらしく、こんないい夜更けに二人っきりになった今頃になって、
またそれを思い出したらしい。

いい加減焦れて話しかけると、真剣な目で見返してきて「アミノ酸は」と呟いたので、
ただぶぉーーっとしていたようでいて実は頭は立派に回転していたのだということがわかった。

そのうちにどこからかノートが現れた。あちこちからメモも出て来た。
何かを思いついたのか、頭の中で何かが形になったのか。
急にサンジは活発に動き出した。
カリカリカリカリ、夢中になってペンを走らせている。
そうかと思うと立ち上がり、忙しなく動き回って、キッチンのあちこちから色々なものを
取り出してきた。
夜半を過ぎてもその勢いは衰えず、それどころかますますヒートアップして、ついには鍋で
何かを作り始める始末だ。

「……」

テーブルの上に広がったメモや、ノートや、食材のあれこれが、ひとり大人しく酒瓶を
傾け続けていたゾロの領分まで
じわじわと進出してきていた。これは拙い。サンジに怒られる前に、と、ゾロは自分の
持ち物を隅の方に移動させた。

俺の焼きおにぎり……

恨みがましくテーブルの上を一瞥し、ち、と軽く舌打ちしたところで真っ直ぐな目とぶつかった。

「ちょっと」
「ああ」
「―――邪魔」
「……」


完敗だった。しかも戦わずして負けた。
だがこうなったらもう、諦めるしかない。
 
ゾロは腹を括り、黙って席を立った。
その足で格納庫に向かい、丁寧に寝床を用意して待っていたが、結局サンジはいつになっても
現れず、くたびれたゾロはいつの間にか眠ってしまった。目が覚めても隣はがらんと冷えたままで、
コックが顔を出した気配はない。
 
ごろごろごろ。
 
ゾロはサンジの場所まで寝返りを打って、わざわざその冷たさを確かめてからまた元に戻った。
ったく、つくづく硬ぇ床だな。お陰で体ががしがしだ。
今更なことを思う。
甲板に出て見上げると、空にはまだ薄く星が残っている。海域の気温が急激に下がり、
船は凍り付くような空気に囲まれていた。
ゾロは身を縮め、白い息を吐いた。硬くなった筋肉を解すために首を回し肩を回し、
サンジと共有できなかった熱を思った。
キッチンのドアを開けると果たして。一段と増したゴタゴタの中に、数時間前と大して
変わらぬ様子でサンジが座っている。
「お前。結局徹夜かよ」
ザラザラした声で責めてみる。が、効いた気配はなかった。
ぽっかりとした空間の向こう側で、サンジは、やや疲れたように見える顔をあさっての
方に向けたまま
「だって」
と呟き、口を窄ませ大きく煙を吐いた。
呼応するように深く息を吸い、一歩踏み込む。と、遠くでマストが軋み、続いて蹄の音が近付いた。
小さく弾む息も聞こえてくる。 
再びドアが鳴り、高く温かな声が言った。
「あ、なんだゾロもいたのか。もう間もなくだ。俺はちょっと行きたいところがあるから、
悪いけど先に降りるぞ」
不思議なことにチョッパーは、たった一晩のうちに目の前に出現した圧倒的なカオスを
目にしても特に何も感じないのか、
顔色一つ変えず、障害物を器用に避けながら機敏に動いて、必要な草(なのか)を次々に
見つけ出し、カバンに詰めてそそくさと出て行った。
「じゃ!」
ゴオオン。
船底のごく近くから水の音が響く。
「お前、いい加減にそれ、止めろ。ぐずぐずしてると船がぶつかるぞ」
慌ててサンジにそう言い捨てて、小さな体の後を追って再び甲板に上がる。
知らない間に風向きが変わっていたらしい。船が驚く程陸に近づいている。ゾロは急いで
着岸の準備に入った。
帆を畳み、碇を下ろす。サンジも上できちんと舵を操ったのだろう、何とか間に合い、
船は無事突堤脇に滑り込んだ。
 ビットにロープを括りつけている間に、船医がもう一度ご丁寧に「じゃあなっ!」と叫んで
飛び去った。いつもなら真っ先にすっ飛んでいくのは船長と決まっているが、珍しいことだ。
あんなに急いで一体どこに行くというのだろうか。
ゾロは手を休めずその姿を見送った。普段の大きさのまま懸命に走る様子を見て、
転ばねえといいがと心配した矢先に案の定その身体は前につんのめり、そこでようやく
思い出したように獣形に変化した船医は、高らかに蹄を鳴らして姿を消した。
それにしても。
こんな時間に何があるというのだろうか。 
店? はまだ開いてねえだろうし、早朝限定の植物でも獲りに行ったか。
まるで惚れた女にでも会いに行くような勢いだな。
そう思ってふと手が止まった。
女……?
様々な想像が忙しく頭を駆け巡る。
いやちょっと待て、もしかしたらこれは、結構由々しき問題じゃねえのか? 
チョッパー……
ゾロは、立派な肉付きの雄々しい身体が消え去った方角にしみじみと目をやり、
だがすぐに力強く思い直した。
いやいや。この海のことだ。まだまだこの先いくらでも、びっくりするような手合いが
わんさかいるに違いねえ。そのうちアイツだって多分、
思わず「なあるほど」と唸るような相手を見つけて、それで必ず幸せを掴み取るに
決まってる。いや絶対そうだ、あの器用な蹄でな……
よし。
大きく頷き、新しい白い息をひとつ吐く。
辺りには再び静寂が訪れていた。
選択肢があれば、航海士は必ずマイナーな方の港に向けて進路を取っているはずだ。
今朝もそうなのか、他に入港する船は見えなかった。
ゾロはメリーを振り返った。
何度経験しても、上陸直後に足元で地面が揺れるのは治らないが、今はそれ以上に船の方が、
波を受け、頼りないくらいに揺らいでいた。
こんな中でみんなすっかり安心しきって眠っているのだ。そう思うと何となく可笑しくなってゾロは
小さく笑い、続いて、キッチンにいるはずの
サンジを思った。
当分まだみんな起きては来ないだろう。仕切り直しだ。
待ってろよ、コックめ。三十分で抱いてやる。









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