わ。
ウソだろ……!
気が付くと水がすぐ目の前に迫っていた。どうやら束の間、気を失っていたらしい。

突っ込む――― ! 

何も出来ず、サンジはそのまま、またぎゅっと目を瞑った。

じゃっ、ぼーん!


冷てっ! 
体中の筋肉が一気に締まった。ぷるるるる……遠くで、誰かが喋っているような音がする。
と、あっという間に体が速い流れに浚われた。
おおっと! 
かなりの水量だ。底がよく見えない。天国にも河はあるがせせらぎ程度、こんなに深く、しかも
まるで怒ったような水に突っ込むのは、さすがのサンジも初めてだった。

落ちつけ……

自分に言い聞かせる。
がやがやわあわあ。
囲まれて一斉に文句を言われているような音を意識しながら、素早く、頭の向く先に注意を向けた。
完全な清流というわけにはいかなかったが、何とか視界は利いた。右手前方に大きな岩。ぶつかったら痛そうだ。
サンジは身を翻し、まずそれを避けた。続いて左、そしてまたすぐその先にもひとつ。今度は間をすり抜ける。
大丈夫。やれる。こうして素直に流れに乗れば、このまましばらく進んでいける。
ほっ。水の中で、小さな息を吐く。

けどまあ、人間の世界には随分、はば、っつーか高低差があんだな。さっきの場所はかなり高い所に
あったみてえだし、かと思えばここはこんなだし。
ようやく少し余裕を覚えて感心する。



それにしても。うっかりしたものだ。
あの唐変朴が、まさかあそこで武器を振りかざすとは。いや正確に言えば別に振りかざしたわけではなかったが、
反射的につい避けた。
あれが、十分に怖かったからだ。
お陰で、ただでさえ半死半生だったあの野郎を、随分思い切って叩きつけちまったが……大丈夫だったか?
ま、すぐにぎりぎりまで這ってきて大声で何か叫んでた位だから、きっと大丈夫だったんだろう。けど俺じゃなく
後ろを心配しろっつーんだよ。完全平定に見えて、まだまだ伏兵が隠れてたかもしれねえじゃねえか。

ったく、強いんだか、弱いんだか……

今度は水中で、思わず苦笑する。


大体罠だとわかってたら、普通来ねえよ。
何で来やがった、あれからあのレディのとこに戻ったんじゃなかったのか……
慌てて突っ込んできた割には妙に肚の据わったような顔しやがって。あのハゲ茶瓶との間にどんな因縁があったのか、
とにかく長年のケリを一気に付けに来た、ってとこか。
お互いに殺す気だったことは、背筋を凍らせるような寒気から十分にわかった。だが、興奮する茶瓶とは違い、緑の方は
終始冷静に見えたから驚きだ。口の片方に、余裕の微笑みまで浮かべて……
死ぬのが、怖くねえのか?
そこんとこ、聞いてみねえと、と思ってサンジはまたひとつ、岩をよけた。
すい。すい。
連続した障害物を巧みに避ける。上手いもんだ。さすが俺。完璧にペースを取り戻し、サンジは一人、悦に入った。




久しぶりの喧嘩は上等だった。
脚も存分に使えたし、途中、マリ五郎が勝手に頭を追って行ってしまったせいで、終盤結果的に一人であれだけの人数を片付けたのだといっていい。
しかも敵は、この間のチンピラなどとは比べ物にならないくらいの本格派だった。
満足だった。
ほっほ、と脚を動かしてみる。がばがば、と水が鳴った。
鎖、突然取れたよなあ。不思議だ。
そして不思議といえば俺だ。
あれだけくたばってたはずなのに。
変なのが勝手に入ってきたときは、「ヤバイ、これが《おしいる》ってやつかよ」と納得こそすれ、満足な抵抗は出来なかった。
そうだ。そういやあいつら、ドア壊していきやがったんだった、あれ、直さねえと。
それからちっとも楽しくないドライブであそこまで運ばれて、そのうちに、徐々に力が……
ということは。
やっぱりあのお陰なんだろうか。

えほ!

思わず水を吸い込み咽る。

あいつ……
この後、またあのレディのところに行っちまうのかな。
あの部屋にはやっぱりもう、帰って来ねえつもりか。けど一体何が気に食わねえんだ。コーザの名前聞いた途端、急にキレやがって。
俺はどうすりゃよかったんだよ! 何も言わねえからわかりゃしねえじゃねえか。ったく。つまんねえ意地張ってねえで、いい加減帰って
くりゃいいのに。自分の家なんだし。けど戻ったら戻ったで、とっくにいなくなったはずの俺がまだいる、話が違うじゃねえかって、また怒んのか? 
そうだろうなー。その点についちゃ、さっきは別にさほど気にしてるようには見えなかったけどまあ、非常事態だからな、忘れてたのかもしれねえ。
武器を手に、朝陽に向かって立つ緑の姿を思い出す。
途端に胸がどきどきした。

あ。魚。

体のすぐ横を、小さな群れが大慌てで追い抜いて行った。

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