<俺たちの立っていた場所〜強く踏み締め過ぎてそこはガラスのように
砕け散った。これは感傷なんかじゃない、だけどこの虚しさは。>
陸に足を下ろす瞬間が、こんなにも悲しかった事は無い。
この、背中の海に別れを告げてしまえば、二度と、
―――メリーと一緒の水を分けることは無い。
そのことを改めて思い、胸が焼けるように痛む。
次にこの海と向かい合い、
外の世界へと漕ぎ出す時。
それが海賊の本分だから、
必ずそうすることはわかっている。
海に出なければ、
海賊ではないと、
わかってはいる。
海賊で無くなれば、
みんなバラバラになってしまうのだと、
……本当にわかってはいる。
だが、
その時が来たら、
今度こそ嫌でも全員が、
メリー以外の船に乗らなければならない。
それぞれの野望を辛うじて繋いでいた、あの優しいメリーではなく、
「別の」船に。
メリーを思い出さないわけにはいかない。
メリーと較べるのを止められるとは思えない。
だが冒険を続ける限り、
その「新しい」船に、一人ひとりの野望を、預け替えなければならない。
嵐の中、樽を囲んで誓い合った時の気持ちを思い出し、
それぞれの覚悟を新たにし、魂を込め直す必要がある。
あそこにいた全員が、そう思っているはずだとサンジは思った。
船長はずっと泣き通しで、ここまで歩いてきてもまだ顔も上げられない。
メリーを捨てると決めたときに振り切った思いが今頃になって倍になって帰ってきて、
ゴムの体を打ち続けているのだろうか。
チョッパーもナミもまだぐずぐず鼻を鳴らし、それを見守るようにロビンが歩いている。
そげキングはひとり、下を向いている。その横に、剣士がいる。
誰も、
一言も、
喋らなかった。
ふいに、いくつもの腹が代わり番こに鳴った。
気にしないわけにはいかず、急いで辺りを見回すと、数軒先にタバーンの看板が見えた。
「ナミさん」
足を止め、小さくしょげ返った姿を振り返る。
ナミは目をごしごし擦ると、サンジの意を察し、瞬時に判断を下して「入りましょう」とはっきりと言った。
案の定、と言うべきか―――、
アクア・ラグナを警戒して避難したまま、まだ戻っていない。
店はもぬけの殻だった。
真っ直ぐに厨房に入り、食糧の状態を確かめると、
やにわに料理に掛かる。
とにかく、猛然と、何かを作りたくて堪らない。
後ろに何人いるかを確かめたのは一瞬で、
あとはもう、そこにある全てを使い尽くす勢いでメニューを考え頭を回し、手を動かした。
余計な手間も、惜しまず掛けた。
みんな大人しく、
物凄くたくさん食べた。
酒もどんどん開け、次から次に飲んで、
相当酔っているはずなのに、それでも大人しく、
ほとんど話もせず、
ただ黙々と食べた。
ややあって、
ナミが二階に上がって行き、
「上は部屋になってるわ。今日はここで休ませてもらいましょう」と疲れた声で言ったときには、
全員半分眠っていた。
ランプの油が少なくなって、
明かりがちら、ちらと途切れ出す。
剣士はまだそこにいて、
一人杯を煽っていた。
無表情な顔に向かい合い、立ったまま自分のグラスに一杯注いで飲み干すと、
影ばかりになったような男はこちらを見ずに、ぽつりと言った。
「泣けねえな」
「ああ」
二階へは、手を繋いで上がった。
一番奥の部屋が一番閉ざされて見える。
あそこにはレディがお休みなんだろうと三歩手前で確信した。
隣を開ける。
一つのベッドに三人が、抱き合い、丸まって寝ていた。
あまりのことに、空いている寝床に移してやろうかと思ったが、
がっちりとくっついているのを引き離すのも忍びなくて止めた。
角の部屋にはベッドが二つあった。
冴えた月明かりがその間を照らしていた。
ゾロが刀を置き、腰を下ろすのと同時に腕を伸ばしたとき、
体はもう殆どその中に収まっていた。
「あそこで、お前ぇと初めて」
「ああ」
いろんなところでやったよな、やってねえのは一箇所だけだ……
そう言ったら笑えるかなと思ったが駄目だった。
いつも、港に泊めた船が見えると安心したのは、
……そこが家だったからだ。
そこにコイツも帰ってくるのがわかっていたからだ。
「サンジ」
剣士が、心細い子供みたいな顔をした。
それを包み込んでやるつもりで確かなキスをしようとして、
……それもまた失敗した。
ゾロの動きも柔らかかった。
シャツに分け入った鼻先で、何かを探そうとしているように見えた。
何か、
――確かなものを。
「ん……っ……」
温かな指――を受け容れる体の熱。
何時もなら一目散に昂まるのが、今日は少し勝手が違う。
なにも勿体付けたいわけではない。
きっと……
不安なのだ。
これから先も今までと同じようにまた、
並んで行けるのか。
ほんの少しずつ、気持ちを寄り添わせながら、
進むことが出来るのか。
船が替わるということは、
何かの清算を迫られているのではないか……
お前と別れることは構わない。
その覚悟は出来ている。
それで全てが終わる、そう思えば怖いことは無い。
だが、
お前と別れる前に、
何かと別れるのは、
―――正直、
やってられねえほどキツイんだ。
同じ思いを二人で共有している。
剣士の顔が辛そうに歪んだ。
可哀想に。
二つ目の喪失を抱えて―――。
前のときもこんな顔で、
耐えて見せたのだろうか。
「っ……ゾロ!」
駆け上がって荒い息の隙に剣士に提案した。
「なあ……俺が挿れてやろうか」
剣士は答えなかった。
代わりに体勢を変え再び押し入った。
こんなことになるとは思っていなかった。
メリーに乗っているからこそ、赦されていたんじゃないか。
こんなことが、
他の場所で、
また認められるなんて……
そんな上手い話があるのか。
腹の底から湧き上がる恐怖を押さえ込むように、
ゾロの背中にしがみつく。
答えは――、
剣士ですら出しあぐねているのがわかる。
俺たちは、
どうすればいい?
これから先も臆せずに、進んでいけるのか。
新しい船にもちゃんと、
真正面から向かい合えるのか。
答えはおろか、
問いすらも、
出来るだけ考えたくなくて、
夜が明けるまで貪るように抱き合った。
窓の外に
新しい道が開けていることを願いながら。
end
みんなこんなヘナチョコなんかじゃないだろ、と思う気持ちと、
いや。でもなあ、と思う気持ちがまだ半分半分。(衝撃から8ヶ月)
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