牧場の牛とそういうことになってから少しの日が過ぎた。

まさかこんなことになるとは夢にも思わなかった。
いくら先のことは分からないといっても、これはあんまり意外すぎる……と、呆れかかってはっとする。
本当に? 本当に考えもしなかったことだろうか?
実は一番初めの瞬間から、
予感はあったのではなかったか。

自分を導いたものがあった。
自分を救ったものがあった。
そして―――、
自分を選び取ったものがあった。
あの頃。たかだか人ひとりの行く先が決められないことに、ゼフはそろそろ焦りを見せ始めていたが、
当の自分はまだまだ余裕と大きく構えていた。決断をただ後回しにしているだけなんじゃねえのか? 
ちら、とそう疑いかけた自分を自分で蹴り飛ばしたほどだ。

それは本当に偶然だった。
偶々、コマが揃ったのだ、と言っていい。
ガキの遠足みたいな連中が突然現れたと思ったら、ついでに厄介事も一緒に運んできた。
もとから揉め事小競り合いの絶えない店ではあったが、今度の嵐は少し大きい。それを思い知り、
気を引き締めようとしていたまさにその時に、まずアイツが突然正体を現した。

『刀三本……まさかコイツが!?』

驚いた。
メインの戦いの流れを、何気にぶち切った押しの強さにも驚いたが、その若いことには更に驚いた。
海賊狩りが何故海賊と一緒にいるのか。そんな基本中の基本の疑問すら、うっかりどこかに置き忘れる程だ。

まだ小僧じゃねえか。それに小せぇ……。

魔獣と恐れられる男と聞き、いつしかゼフをもっと頑強にしたような男を想像していたサンジにとって
その姿は意外で、みんなあんなのに恐れをなしているのかと拍子抜けた程だ。
いくら好機か何か知らないが、いきなり化け物じみた強さの奴に突っかかって行く、その無謀さ。
それなりに強くはあるのだろうが、刀を持たないサンジの目にすら、それは酷く危うい剣に見えた。
体つきも少年のようで、細く、どこかその行為の荒々しさに似つかわしくない。つまりまだ、コイツは
あの黒刀を相手にするには早ぇ、そういうことなんじゃないかと思った矢先、案の定、そいつは倒れた。

しかも。
最後の最後に、鷹の目が加減して刀を引いたことがサンジには分かったし、他にも気付いた奴はいただろう。
無論、斬られた本人なら尚のこと、よくわかったに違いない。
死んで負けるより恥ずかしかったかもしれない。
呆れながら最後まで見守って、挙句、これがせめていい薬になればと気遣っている自分にまた驚いた。
もう無理すんじゃねえ、と駆け寄って言葉を掛けたい思いに駆られる。
勿論、自分に無茶を語る資格などないことは良くわかっている。例え客であっても頭に血が上れば見境なく
吊るし上げ、蹴り出すことはしょっちゅうだ。
ただしその脚は、いつでも何かを守るために働く。
店、か弱きレディ、もしくはプライド。自分を突き動かす何かがある。

ではこの小さな海賊狩りを動かしているものは、何なのか。

憑かれたような目で正面切って突っ込んで行く姿が、強く胸を打ち、頭に焼き付いていた。
だが傍に寄って確かめることは叶わず、ショックから早々に引っ張り戻されて、サンジはバラティエを
守るために体を張って戦った。

共に戦ったガキの親分は、強かった。

能力者云々を超えた何かを小さい身体一杯から放ち、今まで見た誰より、桁外れに強かった。
だがその麦わらは、剣士の、理解を超えた果し合いのときは、最後まで助けに行こうとしなかったのだ。
頑として動かず、ただじっと我慢して、もしかしたら仲間が死んでしまうかもしれない戦いを見続けた。


何なんだ、こいつらは。


頭を殴りつけられるようだった。




いつの頃からだろう。
早く仲間入りしたいと思っていた大人たちの姿が、気のせいか、時々色褪せて見えるようになっていた。
自分が背伸びしながら一生懸命見ようとしてきた世界と、自分が大事に持ってきた夢とが、
一体どこで繋がるのか、そもそも果たして、それは本当に繋がるのか? 
考え出して途方に暮れることもあった。


こいつらの見ているものは何だ!?


こんなにも強く、心を鷲掴みにされ、引きつけられたことは、今まで一度もない。
ゼフが―――、絶好のチャンスと鼻を利かし、鋭い眼光で、時の流れを睨み付けた。
だが船長は、一度は「いやだ」とはっきり言ったのだ。
自分さえあのまま引けば、何事もなかったように、翌日からまた小波の上の日常を、
何気なくやり直すことが出来たはずだ。

崖の淵に立たされた気分だった。

もはや落ちるしかないが落ちる勇気が出ない。怖い。
振り向いて押し返すには物凄い力が要ることだろう。だが心の中では、自分がそうはしないだろう
ということがわかっている。


本当にそれでいいのかよ、ジジイ……


ついに力が抜けた。
船長の選択を、自分も選び返す決心をする。とうとう、長い間ゼフと自分とを繋いでいた鎖を
断ち切る時が来たのだ。
胸は張り裂けそうに痛んだ。
だが、漕ぎ出すと、急に開けた海と運命が重なった。
目の前に遥かに広がる時を、確実に、一つずつ、濃く、握り締めるようにして、これからこいつらと共に
過ごしていくのだと思うと体が震えた。



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