< 芯 >







昼下がり。
夢か現か、花の香を嗅いだ。
薄眼を開ける。

間違いなく―――船の上だ。

納得し、再び閉じた瞼の裏に、白く光が差した。
背中の奥で気配が静まり、ゆっくりと向きを変えるのがわかる。

やってくる。

扉を開けて。ここを目指して。
ほかの仲間を、そっとその手で後ろに追いやるようにして。


サンジはときたま、
というか都合が合えば必ず、
台所でもできる作業を、わざわざ外へ持ってきてやろうとする。
その時間はたいてい寝ていることの多いゾロだったが、サンジが来れば目を覚ました。
寝ているふりをして、サンジを観察することもあった。


扉が開いた。
と、予想に反し、その足音が遠ざかる。いったん別の場所へ、寄るようだ。
大人しく、靴音を追う。

引き返してきた。そして――――――、

ぎし……、ぎし……、ぎし。

今日の荷物は重いらしい。階段がいつもより長めに鳴っている。
麻。と青臭い匂い……。さては昨日の袋かな、とゾロは想像した。

すぐにでも見たいのを我慢して伸ばした脚を組み直し、腕を乗せた頭の位置をわずかに動かす。

頂上に辿り着いたサンジがゾロの脚を越えて行った。
ゾロを跨いでいいのは、両手の塞がったコックだけと決められている。
その足取りが随分慎重な気がして、ゾロはサンジの背中に照準を合わせ、細く眼を
開けた。

両肩に、思った通り、昨日の袋が二つ、担がれている。
腕の上がった上体を支える、しなやかな背と腰の様子が、シャツを通してもよく窺えた。


サンジが、荷物とともに、ゆっくりとゾロの左に腰を下ろした。
そのまま一服することもなく、袋の中身を二つとも、どっと甲板に空ける。
なんだろう。今度こそゾロはぱちりと目を開け、横を向いた。

しんと静まりかえるのを待って、サンジが荷物の中身をひとつ、手に取った。

大きな豆だ。
その腹に爪を立て、二つに割る。中身を取り出し、袋のほかに持参していたボウルに
入れる。鞘は鞘で、元の袋にきちんとしまう。地味で単純だが、コックのコックらしさを支える、
重要な仕事の一つに間違いなかった。

だが。それを、全部、やるつもりか……?

ゾロは、サンジの手元と甲板に出現した緑の小山を交互に見てほんの少し目を丸くした。

ゾロが見ているのに気付いているくせに、サンジが素知らぬ顔で呟いた。

「豆サラダ。豆ごはん。スープにかき揚げ……」

指の先で豆が次々に姿を現し、金属の容器に落ちては音を立てる。
鞘の割に中身は小せえな……つか、その外身は食えねえのか? なんか勿体ねえ……
見事に同じ調子で動き、一瞬も乱れることのない手捌きをじっと見続ける。

「そら豆コロッケ?」

サンジがつと手を止め、虚空を見つめて言った。聞いて思わず腹が鳴った。

「コロッケ希望一名」

手が再び動き出した。
ゾロは少しだけサンジの方に体を寄せて、頭をことりと横の肩に乗せた。

サンジは強いから、そんな風にいきなり重みを預けてもびくともしない。
平然と、作業を続けた。


急に思い立ち、ゾロは、潮と、温まった甲板と、鋭い青豆の香りの奥に、
サンジの匂いを捜そうとした。

頭を起こし、体勢を変え、目を合わさずに、そのままシャツの襟元に鼻を突っ込む。
サンジが察して、豆を保持した両手をさっと上にあげた。
その位置のまま、なおも剥き続ける。

行き過ぎるとき、ふわ、とかすかに、汗の混じった髪の匂いがした。
だが、それは違うのだ。

どこで調達するのか、出会って以来一度も変わらぬ銘柄の煙草……
その匂いも、色々なものに紛れながらあちこちに隠れている。

だが無論、それも違う。


サンジの匂い。
そのまんなかにあって、どんな温度のどこにいても、周りに何があっても、

それは変わらない。


皮膚の上からでは嗅げないのか……
ゾロは鼻をすんすん言わせて思いやった。
腕のすべての筋肉を目いっぱい張りながら豆を捌き続ける男の眼を下から見上げる。

サンジが見返した。
欲情の欠片も見当たらない、深く、濃い蒼だ。
それを認めて目を閉じるのと同時に、柔らかく唇が落ちてきた。


微かに気配……










あ……




すい、とサンジが離れていき、気配が遠のいた。












ああ……






どこにあるのか、その、芯は。
こいつの匂いの元は。

試しにシャツのボタンを二つ程外して顔をもっと奥に突っ込んでみた。


この辺だろうか……


鼻を鳴らし、胸の突起を軽く突く。


「なあにやってんだよ」


ようやくサンジが反応した。
以前であれば、こんなことをすれば双方たまらなくなって、作業も何もお構いなしに
もつれ込み、気がつくと空が茜色に染まっていたりしたものだが、最近ではもう、
そんなことにはならない。


二人の関係が、それだけ成熟したからだ。
ゾロも、サンジも、
そのことをわかっていた。


頭を首元まで戻し、もう一度瞳を見つめ、代わりに差し入れた指の先で乳首をそっと撫でる。
布に隠れた手の方に視線を落として、ゾロは言った。


「てめえの、匂いを覚えとかねえと」

「……何?」

「そうすりゃあ、何が起きても」

「……」

「たとえ地の果てからでも、てめえを見つけられるからな」



思いもかけない言葉が口を衝いて出た。自分でも驚いた。
聞いたサンジがぴたりと動きを止めた。

あれ? と思い、様子を窺う。


顔色が変わっている。




「縁起でもねえこと言うんじゃねえ」




低く、小さな声だった。
だが一つ一つの音の粒ははっきりとしていて、聞いたゾロは寒気を覚えた。

え……?

勢いよく立ち上がりながら引っ張り出した胸元の煙草から、一本が躍り出た。
それを咥え、火を点けるのを、びっくりしながらただ見守った。

手が、震えているように見える。
無理な姿勢で作業を続けていたのに加えて、案外重い、ライターのせいだろうか。

サンジが大きく煙を吐いて言った。

「残りはてめえがやれ」
「え?」

ぎり、とゾロを見つめたまま、顎が傾き豆の山を指した。
え? 残り……ってまだ、始めたばっかじゃ……まだ、ほとんど減ってねえけど、え?

「見てたんだからやりかたはわかるだろう」
「サンジ……?」

サンジが屈み込み、空になった豆の鞘を三つ取り出しゾロの頭の上に並べて乗せた。

「且つ! その間、これを絶対ぇ落とさねえこと」
「ええっ!! 何でだよ!」
「……罰だ」
「罰っ!!? なんの!」
「それをじっくり考えろ」
「……」


一体何がサンジを怒らせたのか、さっぱりわからなかった。
昨日はあんなに優しかったのに……
思わず悲しくなったゾロだったが、フン! と鼻まで鳴らしてさっさと引き上げた
サンジが本気であることは疑いようもない。
そろそろと、豆山に近付く。

毛の間に収まった鞘は案外安定していて、それほど恐れることはないとわかった。
サンジが計算して配置を考えてくれたのだろうか?



……



だから何なんだ!


けっ! と思い、だが用心は忘れずに、慎重に胡坐をかき姿勢を決めてから、
改めて豆と向き合った。

意外にも、固い皮は案外素直に剥ける。前にやった小さくて薄い奴の筋取りほど、
やっかいな仕事ではなさそうだった。果てしなく見えた山も、この分では、切り崩すのに
それほど大した時間はかからないかもしれない。
サンジはそれをわかっていて、この仕事を自分に振ったのだろうか?


……


だから何なんだよ!



ちっともわからない。

それでも、やっているうちに単純な作業が次第に調子に乗って、ゾロは集中し、これがコロッケになったりサラダになったり、コロッケになったり豆ごはんになったり、コロッケになったりすんだな……と想像してまた腹を鳴らした。



しかし実際。本当に何のつもりなのか。後でじっくり聞いてやろうと思った。

コックめ。


聞いてもよくわからないかもしれない。
だが聞かねばならない。

ゾロは、剥き身の豆に鼻を寄せ、口に入れてみようとして思いとどまって、
残り半分になった緑の山を、もう一度しっかりと見た。







end


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