固い、床の上に、横になっている。
隣には、精一杯四隅を伸ばした布一枚を敷いた。
もうじきそこに人が来る。そう思えば、裸の腕を覆う空気も少し温かかった。
あとからやってくるその男と、抱き合い、熱を交換し、息を弾ませ、共に安らぎを得る。
隣合って眠りに落ち、束の間の、死の時を共有する。
そのまま朝を迎えることができれば最高だった。
この世に生還した時、真っ先に目に入るものがアイツだったら。
想像しただけで心温まる。
光の中で輝く金の髪。明るく透き通る皮膚。いっそ神々しいほどの佇まいに、
見た者は漏れなく慄く。軽々に近寄れない、冒し難い存在。
目に見えない結界が邪魔している。悔しいが、これ以上は無理だ。皆首を振り振り諦める……

だが! 唯一! その先に進むことを許された者がいる。


俺だ。


どう転んでも手が出せない他の奴らと、そうではない自分。目の前で動かすことのできる
この手だけは、そっと伸ばすことが許されている。
安らかな寝息を感じる。指先で頬を触る。続けて手の甲を押し当てる。
温かい。こいつも、生きている。
それがわかったら身を摺り寄せて、腕を回し、反対も回し、きつく抱き締め閉じ込めたい。

サンジ……。

つい、呼んでしまうかも知れない。ついでにそっと、唇の片方に口付けるかも知れない。
ん……。
小さな声が漏れるだろう。だが起きなくていい。
何をしてくれるわけでなくても、それでいい。ただそのまま、自分の腕の中で、
暫くじっとしていてくれれば。

光の中で。

そんな風に思っていると、口にした。無論、全部言うと「寒!」とかなんとか言われるに
決まっているから一部端折って要点だけを伝えてみた。
サンジは黙って聞いていた。聞き終わると少し鼻を鳴らし、「無理言うな。船の上だぞ」と呟いた。
だが実際は、クルーもいない、仕事もないはずの陸の上であっても、目の覚めた時、
サンジが光の中にいた試しはない。いつでも自分を置き去りにして、先にこの世にしっかり
馴染み切っている。一度だけ、偶々夜中に目が覚めた時、横で確かに寝ている姿を
確認したことはあった。
だが違う。これじゃねえ。そうじゃねえ俺の望みは。
船長に遠慮があるのだろうか。自分が船長ならもう少し違っていたのか? 
これが俺の船だったら……そしたら朝から晩までずっと傍に置いとくがな。
そうだ。大剣豪もいいが、やっぱり船長だ。
大剣豪で尚且つ船長、ってのもいい。大剣豪船か。いいな。
妄想が豊かに膨らむ一方、現実はなかなか厳しい。忙しい船のコックは、格納庫には後から
やってきて先に消える。
見張り台には、後からやって来てとっとと消える。キッチンに攻め込んで行けば、大抵
蹴り返される……。その上、あろうことか、最近では、ただでさえ短い接触時間が更に
削られたような気がしてならなかった。
ここへきて仕事量が急に増えたようには見えないし、一体何なんだ。そろそろ聞いてみねえと、
と心に小さくマーキングしてから約一週間だ。

あー、早く来ねえかなあ……。

毛布を、背中を撫でるように一撫でした。布は滑って、手の先でひょひょひょ、と皺を作った。
それをまた元通りきちんと伸ばし直す。

今日は、何持って来やがるかな……ふあ〜……あー、眠くなってきた。ちょっと寝て待ってよう……
まあすぐ起きるけどな……
ああ絶対、起きる……ちょっとだけ、だからな…… 

………… すー。

サンジがイカの沖漬けを片手に登場したとき、剣士は既に爆睡していた。片腕を枕に固く目を瞑り、
恐ろしい顔で寝入っている姿を見て、サンジは、ははあ、これは闘いの記憶をトレースして
体に覚えさせているか、はたまた変なモンでも食って腹が痛ぇ夢でも見てるかだな、と思った。
と、静かだった面差しに突然波が立ち、眉が一層寄った。ぎり、と歯が鳴る。
しゃがみ込み、髪か額のどこかに触れようとして躊躇った。酒瓶とグラスが指の間に挟まっていた。
反対の手は皿を持っている。
そっとしといてやるか。
荷物を下ろすことなく再び立ち上がる。隣に敷いてある毛布に気が付いて、脚で引き上げ、
その大きな身体に掛けてやった。
ゆっくりお休み。ダーリン。





















ぎい。

扉は思いの外静かに鳴った。
そうだ。別に怒っているわけではない。こんなことは前にもあった。
サンジは火の傍にいる。明るい陽を浴び、きびきびと、クルーのために働いている。 
冗談じゃねえ。
睨み付けるとちらりと振り向き、「おう。早ぇじゃねえか」それだけ言って、また元に戻った。
シャツを肘まで捲り上げた腕が上がり、反対の手の小さな皿に鍋の中身を移す。それを
口に運んで小さく頷いているところに、心して普通に近寄った。
微弱な殺気を感じ取ったサンジがふと身を固くし、振り返る直前に、後ろから羽交い締めにする。
輪郭の二周り外にまで広がっていた至極平和で暖かい空気を、思い切って粉砕してやる。
「危ねえ!」
上半身を拘束されながらも、手先で火を消すのは忘れない。ますます憎らしい。
「なにしやがる!」
「何で起こさなかった」
「あ?」
「来たんだろ、昨日。なのに何故」
そこで一呼吸あって、ゾロは訝しんだ。普通なら直ぐに跳ね返って来るはずの気が、
なぜか身体の中で渦を巻いている。 
そのまま、顎が前に落ちた。
隠し事か? 上等だ。
「てめえ、よく寝てたか…」
 最後までは言わせなかった。後ろ髪を鷲掴んで頭を捻り、、強引に唇を奪う。
「――― !」
どうすればいいかわからずぼんやりしていた身体が一気に締まった。まず熱い鍋から
離れようとでもいうのか、上半身が懸命に逃げを打つ。
させるか。早く応えねえかと、力任せに舌で蹂躙する。息を詰まらせたサンジが苦しげな
声を漏らし、つい負けて一旦解放した。
「はあっ……」
もう一度だ。右手で支えた頭に顔をぶち当て口を貪る。
「んっ、……は」
固く力の入った身体からゆるゆると力が抜け、口の中で、舌がゾロのそれをそっと絡めにかかった。
だらんと落ちていた腕も上げ、広い背中に回そうとしたちょうどその時、
扉が再び鳴った。
サンジが驚いて身を離そうとしたが、許さなかった。
空気の動きが止まる。女に違いない。だから何だ。一層強く抱き締めた。
止まった空気が一段進んで凍り付き、そこで漸く思い出したように野次馬は退散した。
気が抜けた途端、身体が勢いよく突き離され、身構えるのと同時にコックの全霊キックに見舞われる。
精一杯の受け身の結果、高速で目の前に迫った食器棚の角から頭を護ることには辛うじて成功した。






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