< たとえば俺の…… >







目が覚めた。
時間がわからなかった。


マストを降りると頭の上で、キッチンがおもちゃ箱のように光っているのが見えた。

暖かそうだ。

辿り着いて扉を開ける。

と、中にはもっとぴかぴかした、おもちゃそのもののようなコックがいて、
静かに煙草を吸いながら、小難しそうな、字の沢山並んだ本を読んでいた。


「おや。遅すぎるおそよう」


眼鏡まで掛けている。

目が、悪くなったのだろうか。



食卓の上に一人分の食事が、きちんと手当てをされた上で残されているのがわかった。
野菜にスープに。いつも通り盛り沢山だが、今日は気のせいか何となく全体に緑が多い。
肉は好物の牛叩きと見えた。
魚は……カル何とかいう、要は刺身が3種類。

途端に腹が長々と鳴る。

コックが煙草を消して本を閉じ、立ち上がる途中で思い出したように眼鏡を外した。
スープの皿から覆いを外し、手に取って、
鍋で温め直そうとするつもりなのだとわかった。
一人分だけ……、やりにくくないのか。

思いながら腰を下ろす。
鍋の元から帰還したコックが酒の瓶と醤油差しを相次いで寄越した。
カル何とかを醤油で食べることを、ゾロだけが許されている。


ふと、風のやってくる気配があって、



「サンちゃ〜〜〜〜〜ん、肉!」


と竜巻船長が飛んできた。


「騒々しい。何だよ一体」
「まだ、途中だから、急いで、来た。何か肉!」
「途中?」
「ああ!人生ゲーム海賊版。サンジもやらねえ?」
「あー。じゃあまあ、これでも持ってくか?」

サンジが屈んで冷蔵庫の中からずるずると長いソーセージを引っ張り出すと、
同じ角度で上半身を傾けていた船長が目を輝かせて引き取った。

「サンキュ! あ、何だゾロ! 遅ぇな! どうも、オメデトウゴザイマシタ☆!」


竜巻が逸れ、静寂が戻る。



「あ? おめでとう? 何」
「まあ一応な。何もなかったし今日は」
「?」
「皆で祝ってやろうと思ったのに」
「え?」
「誕生日」

おお。そうか。
すっかり忘れてた。


神経が細かいのか何なのか、サンジは実によくそういう事を覚えている。
別に女に限らなかった。クルー一人一人の誕生日、何だかの記念日、
どこどこで遭遇した珍しい生き物、名産物、はては家族の消息まで……

人から聞いた話をきちんと記憶し、後で繰り返しては言った当人を喜ばせた。


天候だの敵だの冒険だのと、邪魔する要素はとことん多い航海の最中でも、
そんな“特別の日”には、出来るだけ楽しく演出して、みんなで盛り上げようとすることが多かった。


「あー。そりゃあ悪いことしたな。何だ、起こしてくれればよかったのに」
「ナミさんがさ」
「ああ」
「誕生日だからこそ、寝かせといてあげましょうよって」
「そうか」
「それでも2回、上まで登ってった」
「悪い」


ことこと、と蓋が鳴って、スープが温まったことがわかった。
サンジがまた席を立ち、鍋の中身を元の皿に戻しながら言った。


「グリーンピース。お前好きだろう?」


そう言うコックはまだ火に近いところにいて、それが左側だったから、
言われた物を見ようとして、ゾロは大きく身体を捻った後、更に付け加えるように首を回した。


「―――!」


「?」


突然サンジが動きを止めた。
手袋の嵌った手で皿を持ったまま、立ち尽くしている。

何が起きたと見つめる傍から嗚咽が漏れた。


「え?」


立ち上がろうとしたら、サンジの方が勢いよく歩き出した。
ぽろぽろぽろぽろ、大粒の涙をこぼしながら、スープ皿を持って行進だ。


「どうし……」
「ほんとに」
「へ?」

とん、と皿が置かれる。酷く美味しそうな匂いを漂わせるその白い器の先で、
サンジはしゃくり上げ続けた。


「何でそんな傷、付けてきやがったんだ」
「傷?」
「それ……もう見えねえんだろう」


ああ。

この、眼……


「いや、そうだが別に、不自由はねえ、すっかり慣れた」
「ウソつけ、今だって」



うわああああん。




って、そんなに泣かれても、一体どうすりゃいいのか……



「それも、闘って、じゃなく、修業中に、って」
「……おう」
「このマヌケ!」
「え?」
「っ、馬鹿だろ……」
「……」
「勝手に……っ、っ」
「サンジ……」
「早く喰えよっ、冷める!!」


ゾロは下を向き、そろそろとスプーンを持った。
出来たてのスープをほんの少しそこに入れ、口に運ぶ。


美味しかった。


それから、しくしく泣き続けるサンジを前に、野菜だの魚だの肉だのを
順番に食べた。ひとつひとつに心が籠っている。今日は特にそのことがよくわかった。


「ああ。美味い」
「っ!」


眼の端を真っ赤にしたサンジが、そこでまた声を上げた。


「どうしたんだよ、一体」
「そんなこと、そんなこと」
「?」
「お前、言ったことねえじゃねえか」


言わない方が……良かったのか。



「お前は変わった。変わっちまった……」



ゾロはほう、と一つ、温かい息を吐いた。
まだ肉が一切れとプリンみたいなおやつが残っていたが、立ち上がり、
サンジの傍に行ってその身体をそっと抱いた。


「触んなよ……」
「どうしたんだ」
「……わかんねえよっ!」


サンジの座る椅子の半分を狙ってぐいっと膝を進ませる。
サンジは迷惑そうな振りを見せたが完全には嫌がらず、少しだけ向こう側にずれた。

そのまま、なし崩しに椅子を占拠し、浮いた身体を腿の上に抱え上げる。


それも、
嫌がらなかった。


薄いシャツの下で、サンジは震えていた。



マントを広げ、包み込む。
意地で伸ばしている様な首筋に、鼻を落として呟いた。



「赦せ」
「っ……」


「ほんの一瞬だ。油断した」
「……」
「でも心配いらねえ。一つでも、お前のことはちゃんと見える」
「馬鹿か!」

サンジが般若の形相で振り返った。
また顔が……紅潮している。


「そんなこと言ってんじゃねえだろう!」
「……」
「俺は……」

双眸に、再び涙が堪った。
見えているのは片方でも、サンジの目は同時に泣くことができる。


「俺はてめえを止められねえんだぞ」
「サンジ?」
「確かにてめえは強くなったんだろうよ。けど」
「……」



「その分、何だか知らねえけど、とてつもなく危なっかしいんだよ!」
「……」


ゾロはゆっくりとサンジの言葉を反芻してみた。
自分ではよくわからなかった。



2年の修行で、得たものは大きかった。
己の足りないところを嫌という程思い知り、そこを埋めるべく、
身体を鍛え五感を鍛え、刀と語り合って共に修練を積んだ。
斬ろうとするものだけではなく刀の声を聞いて、その道理を理解しようとした。


さっきサンジにああは言ったが、本当は、眼をやられた時の事はよく覚えていなかった。
しばらくバランスが悪かったが、やがて克服し、今では両方見えていた時と何ら変わりなく動ける、
十分な自信がある。


今、自分の前に、道は大きく広がり暗雲は欠片も見えない。
サンジが何を怖がるのか、ゾロにはわからなかった。



サンジの気が回り過ぎているのか、
それとも自分がお気楽過ぎるのか。
自分では気付かない慢心が、サンジには感じ取れるのか。


わからなかった。



だが。


どっちか一つしか取れねえなら。
降り注ぐ火の粉には全く気付かず、平気で天辺まで駆け抜けられる方に、

賭けるしかねえだろ?


ゾロは大きくひとつ、息を吐いた。

「あーあ。お前をちっちゃくして、ここに入れて持って歩きてえなあ」

そう言って、マントの片側を軽く開いたり閉じたりした。

「何」
「俺と同じところからおんなじモン見れば、てめえも色々納得できる」
「何がだ! 却って気が休まらねえっつーんだよ!」

声に張りが戻っていた。


大丈夫、全部上手くいく。
お前の気の済むまで、何度でも言ってやる。


ゾロはサンジの身体をぐるっと回してこちらを向かせ、
心を込めて丁寧に口付けた。


そのまま呼吸を繰り返していると、やがてサンジは落ち着いて、
ゆっくりと顔を離した。


その、動きに、

最後に一つ、眼の端に残っていた涙が、


ぽつりと二人の間に落ちて消えた。










end




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